あけましておめでとうございます。
なんだか1年を振り返る余裕もないまま年が明けてしまった・・・
落ち着いて本を読んだり、立ち止まって振り返ったり先を見据えたりする時間を作らないといかんなー。
2012年はとても忙しくて体感速度的には「早かった!」だけど、帰国して1年半、と口にすると「まだそれだけ?!」って感じ。
もう10年ぐらいこの業界に生きている気がする。笑。
それぐらい居心地がよくなってしまっているのではないか。いかん。
ありがたいことにこのたったの1年半でとても面白い仕事にかかわらせてもらったし、信じられないほど多くの尊敬する方々との出会いを頂いてきた。
2013年はまいた種をきちんと育てて形にできるよう地に足をつけて頑張りたい。
一方でもっともっと「はみ出さなきゃ」とも思う。
居心地がよくなっちゃいかん。
小さな世界でまとまってはいかん。という焦りもある。
表層的な承認にかまけて本質的な問いや価値の研鑽を忘れてはいけない。
先月の選挙で記録的に低い投票率を見て、正直びっくりした。
Facebookであれだけみんな「投票なう!」とか言ってたのに!みたいな。
それだけ自分を取り巻くコミュニティがとても狭くて特殊だということ。
共感する人同士で固まっているだけでいいのだろうか。という疑問。
ソーシャルイノベーション、なんて言葉を使って母親に自分の仕事を説明しようとするときの歯の浮く感じ。全然伝わってないし。
もっと自分にチャレンジを課さなきゃいけないのだろうと思う。
最近読んだ
平田オリザさんの本に「会話(カンバセーション)」=と「対話(ダイアローグ)」の違いについての一節があった。
会話は価値観や生活習慣なども近い親しい者どうしのおしゃべり。対話はあまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも価値観が違う時に起こるその摺合せなど。
対話(ダイアローグ)、最近非営利セクターではとてもよく耳にする言葉で、実際セミナーやイベントでも対話型のものに参加することは多い。
ただ、オリザさんの定義に従うと、どうも最近「対話」ではなく「会話」になってしまうことが多いな、と思うのだ。
居心地が良すぎる。
たったの1年半ですっかり同質性の高いコミュニティを見つけ居場所を確保してしまったのだろう。
再びオリザさんの言葉を借りれば、「対話的精神」とは異なる価値観を持った人と出会うことで、自分の意見が変わっていくことを潔しとする態度のこと。あるいは、異なる価値観を持った人と出会って議論を重ねたことで、自分の考えが変わっていくことに喜びさえも見出す態度、だと。
自分のコミュニティをはみ出して、異なる価値観に嬉々として会いに行くよういしないと、と思う。
とても気の進まないことだったりするものだ。
それは知らない世界に出会う、というオープンでさらっとした邂逅とはまた違うから。
へーアメリカ人は家で靴脱がないのねー面白―い、みたいな異文化との接触ではない。
脱ぐ人と脱がない人が一緒に暮らすとなったときに、さーどうする、っていう話だ。
それは「なぜ脱ぐのか」みたいな今まで当たり前過ぎて考えたこともなかったような問いと対峙することを意味する。
「なぜ脱ぐのか」をかみ砕き、その必要性を説明し、理解を求め、相手の行動の変容を促す、という大変な作業を要する。
当然相手もこちらに対し「なぜ脱がないのか」をかみ砕き、その必要性を説明し、理解を求め、行動の変容を促してくる。
そのうちに「脱ぐ」と「脱がない」の混合物みたいな素晴らしくて新しい価値が生まれるかもしれない。
ソーシャルイノベーションってそういうことかもね。
対話力、もっと鍛える必要があるな、と感じている。
「対話的精神」もそうだけど、「対話の技術」もあるのだろう。
先日一時帰国中の井上先生がコミュニケーション能力は右脳的直観と思われがちだが実はテクノロジーだ、というようなことを仰っていて納得。
井上先生がとても自然に感覚的にやっているように見える問いとか相づちとかちゃちゃ入れとか、実はものすごい気を使って意図的にやっているんだろうと思う。なんだかわかる。
2013年は居心地の悪いエリアに嬉々としてはみ出していくことを目標とします。
茫然自失としたり否定されて凹んだりすることを「これこれ」と喜んで受け入れられるように。
いい年にしよう!