旅の途中



コミュニティ幻想


BOPアプローチを使った水供給は従来の大規模・集中型の設備ではなくdecentralized(分散型)のサービス提供が共通項になっている。decentralizationのレベルはさまざまで最も小規模化したLifestrawPuRのような個人ベースのソリューションからWater Initiativeのような家庭向けソリューション、Water Health International のようなコミュニティごとの水提供まで。あまねく皆が水にアクセスできる、という開発的発想に基づいて考えた時、私はやっぱりコミュニティベースの形式が最も良いのではないか?と考えていた。村単位の結束を利用して共同管理をすることで価格も安く、Aさん家は持ってるけどBさん家は持ってない、みたいな不平等感を軽減できるのではないかと考えていた。

が、先日の授業で読んだ論文・・・コミュニティ幻想。

「コミュニティ」という概念は均質性が高く、結束した歴史的で安定的な社会構成要素と見られがち。実際にはその内部で対立、交渉、受容と排他、パワーバランスが有り、コミュニティどうしの境界は容易にシフトし曖昧になる。開発実務者はコミュニティはあらゆる問題に対処できる、という幻想や先入観を捨てるべき。

盲目的にそう信じていたわけではないけれど、確かにコミュニティという響きにかなりポジティブな偏見があったように思う。「ローカルコミュニティ」、というと人々が利害を共有していてその土地に昔から有るルールで限られたリソースを持続可能な方法で分かち合う美しい共同体をイメージしてしまいませんか?現実そう簡単じゃないと分かっていても、何かそういった人間の集合体に期待を抱いてしまう。特に途上国には先進国が失ってしまったそういった人間の本来の姿がある、みたいな使い古されたイメージがある。実際にはそんなに美しくない。

深く掘っていくと、もっと根源的・哲学的問いかけにぶつかる。人間は本質的に自分の利益を優先させる合理的な生き物なのか、それとも共同体としての利益を考える社会的生き物なのか?自由主義経済学の文脈では前者が主流なわけで、こっちの見方が現代社会のあらゆるところに浸透しているのではないかと思う。開発プロジェクトでも個人のインセンティブに影響を与えるか、といった視点はさらっと自然に出てくるもの。

例えば水。これは生命の源、自然の恵み、だけど、経済学ちっくにとらえれば飲める水は希少な資源。となるとこの資源は価格を与え、共有物ではなく個人に所有権を持たせることで個々人の資源の有効な活用へのインセンティブを高め、結果的に全体の利益も最大化する、というロジックになる。前提として、お金を払って買ったもの、自分だけの所有物なら共有のモノより大事にする、という人間観がある。しっくりくるような、こないような。

本当にひだのひだをひも解けば、どちらでもなく、どちらでもあるんだろう。私たちの毎日の小さな選択がそうであるように、合理性と効率性と自分の利益を追求する態度と、コミュニティに属すること、他人に奉仕をすることに満たされたりする感情と、混沌とした行ったり来たりで人生が進んで行くもの。

早く現場に出たい。もっと混乱するだろうけど、「ひだのひだ」を知りたい。答えは一つではないし、普遍的ではないのだから、現場に行ってもう一度悩み直したい。
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by nanacorico0706 | 2010-03-19 09:46 | 勉強
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2年間の米国留学生活をゆるゆると綴ります・・・
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