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旅の途中



日本人の根っこ


スリランカ人の教授が海外で暮らすと自国のアイデンティティが再生産される、と言っていたことがある。

海外に来て初めて日本の良さが分かった、とか、自分の中にある日本人的なものに気付いた、とか以上に、自分の外に有る『日本人的』とされるものを内部化していく傾向がある気がする。そういう意味で『再生産』という言葉がしっくりくる。

あなたはどう考えますか?という質問より圧倒的に「日本人は一般的にどう考えますかね?」という質問をされることが多くなる。とたんに一人称を超えて一般化することを迫られるのでなにやら文化とか歴史とか、あとなぜか武士道とかそういうところに話が行ってしまったりする。そうですねー日本ではたいていこんな感じです、と語るうちに「こんな感じ」がまるで自分の内部から発した価値観のように自分の中に戻ってきて刷り込まれるんじゃないかと思う。

とはいえ、日本ではどうですか?の質問はアメリカに関して言うとそんなに聞かれるものでもないかもしれない。私みたいに国際開発の学部にいると基本的にみんな異文化に興味津津だが、ビジネススクールの学生や企業勤めしている人なんてあまり聞かれないだろう。

NYの企業で働いていたパキスタン人の友人は全く信心深くもないのに同僚がドーナツをほおばる傍らで一人孤独にラマダンの断食を実行していたらしい。自国に戻ったらとたんにやる気がしなくなった、と。外に放り出されると自分のアイデンティティを確認したくなるもんだ、と彼は言った。異質な世界に放り込まれた時に倒れないで立っていられるように自分の根っこを明らかにすることを迫られるのかもしれない。必ずしも「根っこ、こうなってたのね」、と確認するのではなく、根っこを再生産するのではないか。

別のパキスタン人はアメリカではその人の出自ではなく、その人が何が出来るのかでその人の本質を判断される、と言っていた。コネや御家柄がモノを言うパキスタンはそりゃー生き難いだろうけど、そういう根っこを引き抜かれるとそれはそれで私って誰?的な危機感を覚えるのかもしれない。海外に出ると自国の文化や慣習を再生産する。きっとそうでもしないとカクテルパーティーで一人黒髪アジアンだったりする時のどうしようもない疎外感と戦えないのだ。

タジキスタンでリサーチをした同級生はロシアへの出稼ぎ労働者からの仕送りが古来から続く親戚一同を招いた大宴会に使われることが多く、送金が増えるにつれてこの宴会の豪勢さがどんどんエスカレートしていると言っていた。近代化によって当然想定される核家族化や伝統的なおもてなし合いの消滅は起こらず、むしろその伝統を強める傾向さえある。

グローバリゼーションによって世界中の文化や生活様式がブルドーザー式に西洋化していく、という使い古されたイメージは違うのだろうな、と最近つくづく思う。確かに世界中どこでもコカコーラで、ディズニーで、ナイキで、グーグルだけれど、意外とこういう均一化って表面的なものではないだろうか?ヒト・モノ・おカネの移動、でいうとヒトに関してだけは実は移動によって余計に文化の異質性を保持しようという力が働くのではないかとさえ思う。

私はどうか?そろそろ進路を考えなきゃいけない時期だ。大学生の時は派遣先のアフリカで骨を埋めてもいい、と思っていたけど、今はもう死ぬなら日本だ、と思う。年をとったのかしら?というのは置いておいて、やはりこの国で暮らして自分は日本人だという当然の事実を「たたきつけられた」という感じ。スラムの奥まで入っていっても現地の言葉も文化も世界観も共有していない私が偉そうに言えることなんて究極的には無い。日本から来ました、突然すみません、お邪魔いたします。と挨拶するしかないのだ。どこにも根を張らないノマドみたいな生き方をするのではないかと自分の将来を想像していたけど、どうやら違う。物理的にはノマドだとしても逃れられない根っこがあるのだと分かった。この根っことどうやって付き合っていくか。

進路考えなきゃ・・・
by nanacorico0706 | 2010-10-11 00:28
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2年間の米国留学生活をゆるゆると綴ります・・・

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