旅の途中



政府とおしごと

a0158818_1038115.jpg


上半期で読んだ本の中でダントツだったのは新渡戸稲造の「代表的日本人」。
こんなシブい本読んでるからダメなんだな・・・と思いつつぐっときてしまったのだ、西郷隆盛に。笑。

文明とは正義の広く行われることである。

そうか。そういうことだよね。
ソーシャルイノベーションは社会の課題を解決するような新たなアイディアが広範囲にわたってスケールすることだとどこで誰かが定義していたけど、近い。

アメリカの大学院で国際開発の勉強をしていた時に、「政府の役割は?政治はどう変わるべき?」としきりに問う先生がいて、印象的だった。
私のいたプログラムは民間やコミュニティが中心になって社会を変えていく、というトーンが強かっただけに、政策や制度にあまり関心の無い人がほとんど。

私もそう。

卒業して3年。ここにきて政府の役割を深く考える仕事に携わっている。
「正義」が「広く」行われるようになるためには政府の役割はあまりにも大きい。
ソーシャルインパクトボンドやG8のインパクト投資タスクフォース。
民間のアイディアやノウハウ、資金がどう新たな社会システムのブロックを積み上げていくか、そのために政府が提供するリソースは?制度的枠組みは?インフラは?

4月以降ずっとこんな問いを色々な人とディスカッションしている。
人生でほぼ初めて足を踏み入れる霞が関と永田町のめくるめく世界にくらくらしつつ、また少し世界観が広がったのも確か。
色々な方に会うたびに「やっぱり行政の人って…」的な受け止め方をしてきたけど、最近「行政だから」ってことでもないのかもしれない、とも思う。

人だ。
中にはびっくりするぐらい主体性を持って動いている人もいるし、ビジョンを持っている人もいる。
受け身で現状維持志向で、組織のビジョンを一人称で語ろうとしない人は民間にだってたくさんいる。
うちの会社だって分からない。

正義が広く行われるようにすることに想いを持って取り組んでいる人に出会うことが何より大事。
そこまでいくにはとにかく旗を降ろさないこと。

「天を相手にせよ。人を相手にするな。すべてを天のためになせ。人をとがめず、ただ自分の誠の不足をかえりみよ」
くー。西郷どん、かっこいい。

頑張ろう。
[PR]
# by nanacorico0706 | 2014-08-09 10:40 | おしごと

広告の終焉から始まるもの

a0158818_1553444.jpg

ここ最近で最も刺激を受けたのがクリエイターのレイ・イナモトがFast Companyに掲載したカンヌ広告祭の振り返り記事。
『広告の終焉』

仕事でにわかにプロモーション強化のプロジェクトが立ちあがって今まで全く縁の無かった広告のキーワードが引っかかっていたころに発見。
ワクワクするようなインサイトに溢れていた。

「New Worldでは、ブランドがオーディエンスとつながっているか、そしてオーディエンス同士のなかにつながりをつくれるかが重要になる。」

「ブランドの物語」ではなく「人々の物語」

「広告の世界では、長きにわたって、消費者に対して包括的に「360°」でメッセージを発信していく考え方が奨励されてきた。しかし新しいメディアが増え、消費者の行動もメディア接触も細分化されたいまとなっては、消費者を全方位から囲い込むというのは不可能であり、無駄が多過ぎる。アイデアのスケールが、媒体露出によって測られる時代は終わった。新時代における基準とは、永続性、志(こころざし)、そして社会に与えるインパクトである。」

「クリエイティヴィティとイノヴェイションとは、明らかな問題に「思いもよらない解決策」を見つけるか、または「思いもよらない問題」を見つけて明らかな解決策を提示することである。 クリエイティビヴィティは、よりよいビジネスアイデアやソリューションを見出すために使われるべきであって、いたずらに消費者のアテンションを引くために使うものではない。」

「キャンペーンもプロダクトも、人々が時間を割く価値がないものであれば、文字通り世界を汚染してしまう。近い将来、ポスト・デジタルの全モバイル時代が訪れたとき、360°インテグレーテッドキャンペーンと称したブランドストーリーをあらゆるメディアで展開しても、もはや何の効果もない。ブランドは、365日のコネクションを通じて、消費者が抱える本当の問題を解決し、自社ブランドのみならず人々や社会に貢献できるようなビジネスの開発を目指すべきである。」

広告やプロモーションと言うのは情報の受け手にある行動を起こしてもらう為にするもの。
購買であれ、寄付であれ。
だけどどうやら一方通行で行動を喚起するようなメッセージを発してももはやダメなのだ。

1.露出するだけのコミュニケーションではなく「繋がり」を感じさせること。
消費者同士、支援者同士を繋ぎコミュニティ化していくこと。
人々は今、想いを同じくする誰かと繋がること自体に価値を見出しているはず。
ブランドはその為の場を提供することが出来る。

例えば自宅で仲間とエクササイズ出来るNike キネクトは「繋がる」を軸にビジネスモデルそのものにイノベーション起こしている好例。
単なるスポーツメーカーの領域を超えて私たちの生活様式を変え、スポーツする人同士の新しいコミュニケーションのを生みだしている。


2.発信するメッセージ自体に価値があること
これだけ膨大な情報が溢れている社会では自分本位なPRは見向きもされない。
本当に価値が有り、人をhappyにしたりエンパワーするコンテンツでなければ。

Redbullの成層圏ダイブの映像が呼ぶような感動や、タイの禁煙を促す映像がもたらすドキッとするような気付き。


3.大きなコーズに取組むこと
広告が自分本位に購買を促すものではなく、もっと大きなコーズへのコミットを語る必要がある。

例えばユニリーバのReal Beauty Sketch
Doveの宣伝文句はなし、美しさって何だ?という美容品メーカーが向き合う普遍的な問いかけにフォーカスして感動を呼ぶ動画。

例えばアキュメンファンドのGenerosity Day
アキュメンのChief Innovation Officerがバレンタインデーを人に寛容になる一日”generosity day”と勝手に認定。
頼まれたこと全てにYes!と言うとかチップをはずんでみるとかチャリティに寄付をしてみるとか、個人で賛同した人の輪が大きくなって毎年twitterが盛り上がっている。
アキュメンの宣伝をしたわけでは全くない。
generosity=寛容さというアキュメンがコミットする大きなコーズを全面に出したことでむしろアキュメンのブランディングに貢献している。実際寄付も増えたとか。
自分たちの団体が成長すればいいのではない。
その先にあるもっと大きなビジョンに意味がある、という本質があるからこそ多くの人の共感を呼ぶということ。

広告の終焉。企業だけが危機感を持つ問題ではないはず。
人に伝え行動を起こしてもらうことの重要性という意味では非営利の組織も例外ではないのだ。
しかもレイ・イナモトが指摘している新しいベクトルはどれも非営利セクターに有利。
多くの人が繋がりを求め、価値ある情報を欲し、大きなコーズに共感する今こそ、NonProfitにとってのチャンスなのだ。
この業界はクリエイティブの力を軽視し過ぎているし、まだまだ勉強不足だと思う。
良いケースから盗みに盗んで色んな実験を仕掛けていきたい。
[PR]
# by nanacorico0706 | 2013-10-06 15:56 | おしごと

massive scale collaborationと企業の役割

a0158818_0335312.jpg


TEDのプレゼンテーション、今まで見た中で中で一番ビックリ楽しい!だったのはこれ。
ルイス・フォン・アーン 「ネットを使った大規模共同作業」


よくネットで買い物する時とかに出てくる時に出てくるセキュリティチェックの為の「ぐにゃぐにゃ文字」、すっかりおなじみになったけど、実はこれ、古文書を電子化して保存するのに役立っている!
コンピューターでは読み込めず、人間の目でしか識別できないような文字を読ませる、という機能を利用してコンピューターが認知できない傷んだ古文書の文字を少しずつたくさんの人の入力を通じて、電子化していく。
毎日2億回、50万時間が費やされるこのイライラ入力作業が実は社会に貢献していたのだ。
これからはイライラせずに頑張ろう。
この技術をを発明したエンジニアが膨大な時間の集合体を何か社会に役立てられないか、と発想して出来た。
こういうのをイノベーティブな発想、というのだな、と目から鱗なのでした。

インターネットのお陰でこういう世界中に分散したものすごい数の時間やおカネや労力を集合化できるようになってきた現代。
莫大な数の顧客を抱えるBtoCの企業が果たせる新たな社会的役割の鍵がここにあるのでは、と思っている。

今年5月に開催した未来を変えるデザイン展の出展企業との会話でも何度もそう感じた。
1億人以上のユーザーを抱えるゲーム会社。毎日10秒でも1億人のユーザーが社会課題の解決に時間を費やしたら世界は変わる!と説く人もいる。
1億人のユーザーの1%でも社会課題に対しての署名運動に参加すると100万人の市民の声が集まることになる。

車に搭載されたナビゲーションシステムがネットワーク化されている時代。
何万台という車が近隣で自分の車の位置情報を公開して移動困難者をピックアップ出来るシステムがあってはどうか。
ドライバーが走行中に気付いた交通インフラの劣化ポイントをきづいた時点でデータ発信して自治体にアクションを求めることも出来るかもしれない。ついでにETCでインフラ改善の為の寄付までできたら面白いのでは、なんて妄想も飛び出した。

日本と世界の未来を変えるビジネス。
何度も何度も議論する中で見えた一つの共通項は中央集権型から自立分散型へ。
一つの企業対マスとしての消費者、という図式はもう成り立たないんじゃないか、ということ。
消費者同士がサービスを提供しあったり、企業をハブとした消費者のコミュニティが出来あがったり、そのコミュニティでムーブメントが起きたり、そういうことが普通になっていく。
これからのCSRは利益の1%寄付すればよい、ということではない。
ステークホルダーに「配慮」して事業をします、ということでもない。
課題解決のフラッグシップとなってステークホルダーを巻き込み、社会をより良くするために消費者のライフスタイルや価値観さえも変えるようなイノベーションを提供することなのではないだろうか。
途方もない数の消費者、つまり「市民」にリーチ出来ると言うこと、その社会的な価値にレバレッジをかけることが、多額の寄付よりも大きなインパクトになると思うのだ。

言うは易し。ぶつけたアイディアは共感さえされなかった。
まだまだまだまだまだまだ力不足なり。
[PR]
# by nanacorico0706 | 2013-09-09 00:49 | つれづれ

寄付と遊びの関係


a0158818_23264168.jpg


日本で寄付文化を醸成する、という壮大なミッションを投げかけられている。

日本のトップクリエイターと呼ばれるような人でも頭を抱えるわけで、彼が先日ブレストの席で「やはり恐怖訴求しかないだろうな・・・それが一番リアルだから」とぽつりとつぶやいた。のにはがっかりした。
大きな目から一粒の涙がこぼれ落ちるアフリカの子供の写真でしか日本の寄付文化は育たないのだろうか。
憐みや恐怖や悲しみや同情でしか人間は寄付をしないのだろうか。
だとすると、社会を動かす動力としての寄付がますます必要とされているこれからの世界は憐みや恐怖や悲しみや同情の感情で埋め尽くされてしまう。
そんなのは嫌だ。

寄付は遊びであり、快楽であり、未来の自己資産である。
そう考えられないだろうか。
そうでなければ続かない。
憐れみを原動力にして動く社会なんて嫌だ。

広井良典さんの『創造的福祉社会』に希望を見出した。
チンパンジーやゴリラなど原始人類に見られる食糧の「分配行動」は飢えた人々を生き残らせる為に行われたのではなく、食糧を分配することが仲間同士の親睦を深め、より自由度の高い社会交渉を発現させ、多様な協力体制を作り上げる役割を果たしたから、らしい。
どうも類人猿にとって分配行動は遊びと似た性格を持ち、感情の「快」の部分を刺激していた、らしい。
恵まれない境遇に置かれた他人の為に寄付をするということが倫理や道徳でも、社会規範でもなく、遊びであり、楽しみであり、快いことだと言う感覚。
これが実はもともと人間にインストールされているのではないか、ということ。

私はここに大いに期待したい。
慈善もチャリティも、もっとポップに楽しく訴求したらいいのではないか。
世界の貧困の現状や原因不明の病気や障害を持つ子供の実情をより多くの方に知って頂くことももちろん重要だ。
でも、ひたすらその苦しい現実を伝えることが人々のサポートを引き出すことに繋がるわけではない。
寄付すること、与えること、が遊びであり、自分を取り巻く社会環境をより豊かにする為の快い行為だと思ってもらえないか。
手放す少しのおカネが巡り巡っていつか自分や自分のこどもに帰って来るんだと言うことを感じてもらえないか。
そんな仕掛け作りが出来ないだろうか。

ゲーム、ネットアイドル、ファッション、アニメ、ニコ動。
タブーも気にせず、色々チャレンジしたい。
これは、NPOの活動資金を増やす、とかそういう業界特有の問題ではないのだ。
これからの日本を考える上で私たちにどうしても必要とされている価値の転換についての話なのだと思う。
近い将来必ず税金では社会を支え切れなくなるのだから。

写真は今年のカンヌを総なめにしたDAMB WAYS TO DIEというソーシャルマーケティングのキャンペーン
恐怖訴求ではなくコミカルなストーリーで鉄道事故の減少に貢献した。
こういう仕事が楽しい寄付体験を生みだす為にも求められているのだと思う。
ああ、私たちの提案ではまだトップクリエイター達を説得出来ていない・・・・
類人猿の時代から続く遊びと快楽の力を信じたい。
寄付はもっともっと楽しくてかっこよくなれる。
[PR]
# by nanacorico0706 | 2013-09-01 23:37 | おしごと

2013

a0158818_16201466.jpg

あけましておめでとうございます。
なんだか1年を振り返る余裕もないまま年が明けてしまった・・・
落ち着いて本を読んだり、立ち止まって振り返ったり先を見据えたりする時間を作らないといかんなー。

2012年はとても忙しくて体感速度的には「早かった!」だけど、帰国して1年半、と口にすると「まだそれだけ?!」って感じ。
もう10年ぐらいこの業界に生きている気がする。笑。
それぐらい居心地がよくなってしまっているのではないか。いかん。

ありがたいことにこのたったの1年半でとても面白い仕事にかかわらせてもらったし、信じられないほど多くの尊敬する方々との出会いを頂いてきた。
2013年はまいた種をきちんと育てて形にできるよう地に足をつけて頑張りたい。

一方でもっともっと「はみ出さなきゃ」とも思う。
居心地がよくなっちゃいかん。
小さな世界でまとまってはいかん。という焦りもある。
表層的な承認にかまけて本質的な問いや価値の研鑽を忘れてはいけない。

先月の選挙で記録的に低い投票率を見て、正直びっくりした。
Facebookであれだけみんな「投票なう!」とか言ってたのに!みたいな。
それだけ自分を取り巻くコミュニティがとても狭くて特殊だということ。
共感する人同士で固まっているだけでいいのだろうか。という疑問。

ソーシャルイノベーション、なんて言葉を使って母親に自分の仕事を説明しようとするときの歯の浮く感じ。全然伝わってないし。
もっと自分にチャレンジを課さなきゃいけないのだろうと思う。

最近読んだ平田オリザさんの本に「会話(カンバセーション)」=と「対話(ダイアローグ)」の違いについての一節があった。

会話は価値観や生活習慣なども近い親しい者どうしのおしゃべり。対話はあまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも価値観が違う時に起こるその摺合せなど。

対話(ダイアローグ)、最近非営利セクターではとてもよく耳にする言葉で、実際セミナーやイベントでも対話型のものに参加することは多い。
ただ、オリザさんの定義に従うと、どうも最近「対話」ではなく「会話」になってしまうことが多いな、と思うのだ。
居心地が良すぎる。
たったの1年半ですっかり同質性の高いコミュニティを見つけ居場所を確保してしまったのだろう。

再びオリザさんの言葉を借りれば、「対話的精神」とは異なる価値観を持った人と出会うことで、自分の意見が変わっていくことを潔しとする態度のこと。あるいは、異なる価値観を持った人と出会って議論を重ねたことで、自分の考えが変わっていくことに喜びさえも見出す態度、だと。

自分のコミュニティをはみ出して、異なる価値観に嬉々として会いに行くよういしないと、と思う。
とても気の進まないことだったりするものだ。
それは知らない世界に出会う、というオープンでさらっとした邂逅とはまた違うから。
へーアメリカ人は家で靴脱がないのねー面白―い、みたいな異文化との接触ではない。
脱ぐ人と脱がない人が一緒に暮らすとなったときに、さーどうする、っていう話だ。
それは「なぜ脱ぐのか」みたいな今まで当たり前過ぎて考えたこともなかったような問いと対峙することを意味する。
「なぜ脱ぐのか」をかみ砕き、その必要性を説明し、理解を求め、相手の行動の変容を促す、という大変な作業を要する。
当然相手もこちらに対し「なぜ脱がないのか」をかみ砕き、その必要性を説明し、理解を求め、行動の変容を促してくる。
そのうちに「脱ぐ」と「脱がない」の混合物みたいな素晴らしくて新しい価値が生まれるかもしれない。
ソーシャルイノベーションってそういうことかもね。

対話力、もっと鍛える必要があるな、と感じている。
「対話的精神」もそうだけど、「対話の技術」もあるのだろう。
先日一時帰国中の井上先生がコミュニケーション能力は右脳的直観と思われがちだが実はテクノロジーだ、というようなことを仰っていて納得。
井上先生がとても自然に感覚的にやっているように見える問いとか相づちとかちゃちゃ入れとか、実はものすごい気を使って意図的にやっているんだろうと思う。なんだかわかる。

2013年は居心地の悪いエリアに嬉々としてはみ出していくことを目標とします。
茫然自失としたり否定されて凹んだりすることを「これこれ」と喜んで受け入れられるように。
いい年にしよう!
[PR]
# by nanacorico0706 | 2013-01-03 16:22 | つれづれ

SOCAPデビュー

a0158818_912189.pngSOCAPというカンファレンスの存在を知ったのはアメリカ留学一年目の2009年だったと思う。
ソーシャルキャピタルマーケット、の略でSOCAP。
世界をより良くするための資本市場を創りだそうとする人たちが集まるマニアックなカンファレンス。

2010年のJP Morganのレポートを機にImpact Investmentという言葉が一気にその認知度を上げて以降は、ソーシャルな分野に関心のある機関投資家や元インベストメントバンカーたちの集まり、という様相を呈していた。
すっごく行きたいような、行ったら行ったで疎外感たっぷりでうんざりするだろうことを想像すると絶対行きたくないような、そんな気持ちで遠くから眺めているカンファレンスだった。

今年、満を持して行ってきた。
行きたいけど行ったらがっかりしそう、という相変わらずの揺れる乙女心のまま降り立ったサンフランシスコ。
結論としては、本当に来て良かった。
何が良かったかって、SOCAP自体から揺れる乙女心を感じ取れたからだ。

おカネの流れをもっと社会に良い方向に変えて行く、ということをテーマに活動する人には大きく2つのルーツがあると思っている。

一つはここ数年で一気にこのセクターに流入してきたウォールストリート育ちのメインストリームの投資家達。JPモルガンやゴールドマンサックス、ドイツ銀行、シティ銀行、などなど社会的インパクトを出しつつマーケットレベルの経済的リターンも求めようとしている投資家達。ロックフェラーやフォード財団、Omidyar Networkなどの大手財団もこういったメインストリームの投資家に思想や関係性としては近い。
こっちの文脈で言うと今回のカンファレンスで面白かった例はソーシャルインパクトボンドという「ソーシャルインパンクト」の大きさに経済的リターンが比例する債券。こういった洗練された金融ツールを使ってどうやって「規模」を追求したり、既存の金融システムに統合していくか、というのが一大テーマ。

もう一方のルーツはもっと筋金入りで歴史が長い。60~70年代の社会運動に根っこを持つ、社会主義的でヒッピー的なローカルバンクやNPOたち。メガバンクなどのメインストリームの金融システムに対抗して地域に根差したおカネの流れを追求してきたひとたち。
こちらは例えばIPOならぬDPO(Direct Public Offering)といってビジネスの所在する地域で少額の株券を発行して不特定多数から資金調達をする方法を実験していたり、いかに既存の金融システムに頼らず一般市民の力でリソースを動員するか、と言うところに心を割いている。

Impact Investmentというと前者のメインストリーム投資家しか想定しない場合が多いけど、今回のSOCAPでは主催者が意識的に呼んだとしか思えないくらい後者の立場の人がきちんとスピーカーとして招かれていた。びっくりした。例えば初日のキーノートで登壇したDemocracy Collaborativeの創設者は共同組合についてがっつり紹介していたし、RSF Social Finance BALLE Criterion Venturesのようにコミュニティビジネスやローカルバンクにこだわってきたプレーヤーもキーノートに登場、セッションもメインで持っていた。彼ら自身も「私たちはSOCAPのstep child(腹違いの子)だから」と冗談を言っていたぐらいちょっと場違い、と感じていたのだろう。それぐらい、歴史的背景をみれば異色の2つの流れ。だけど大きな意味でのテーマは確かに似ている。ここに交わる意義があるはずだ。

「社会を良くするための投資がアセットクラスになる、とかいう話を聞いたけどちゃんちゃらおかしいわ」と痛烈にImpact Investorたちを皮肉るパネリスト。会場は称賛と笑いと拍手を送る人たちもいれば、しれっと(もしくはむすっと)聞き流す、みたいな人もいて、明らかに同床異夢なこの空間。ポール・ポラックが「Impact Investmentは利益とインパクトを混乱している」と書かれたスライドをでーんと出して苦笑の渦を起こしていたり。
この対立軸とか矛盾とかまだコンセンサスの成立していない状況をちゃんとおおっぴらにしているところに主催者側の器の大きさを感じる。
ねちねち体育館裏に呼び出したり、排他的なサークル化をしないで表通りで対立する西海岸らしいオープンさも感じる。

Impact Investment万歳!みたいな、鼻息の荒い投資家ばかりが集まる場なのではないか、と思っていたけどそんなに同質性の高い場でもなかった。ほっとした。
揺れる乙女心を抱えていたのは私だけではなく、いわば業界全体なのだろう。
ある女性が語っていた。社会を良くするための新しい投資の流れのもっと深いところにあるパワーダイナミクスについてもっと語られなければならない、と。このムーブメントが本当にパワーダイナミクスを変えるのか、ということ。新しい投資といっておきながらテーブルが変わっただけで周りを見渡すとまた同じ顔ぶれだった、なんてことがないだろうか、と。
これは非常に重要な問いかけだと思う。
社会が本当に変わるということは関係性が覆ること、既存のパワーダイナミクスがひっくり返されること。Impact Investingに本当にその変化を起こすポテンシャルがあるだろうか?メインストリームの投資家がますます声を大きくする中で、この問いかけは背筋が寒くなるぐらい重要なのだ。

少なくともあの場所で、その問いかけがオープンに投げかけられ大きな拍手を受けていたことに力づけられた。
ルーツの違う2つの流れがお互いから学び合い、本気でこれからのおカネの在り方を一緒に創ることができたらすごい。
多様性の高いものが最後は勝つ(またJOIさんの言葉。。。)。そういう意味ではこのカリフォルニアベイエリアが何かと「世界一」と言われて世界中から優秀な人材やリソースを引きつけているのも多様性あってこそ。
ベイエリアの求心力についてはまた後日・・・

a0158818_904350.jpg

[PR]
# by nanacorico0706 | 2012-10-25 08:58 | おしごと

地図ではなくてコンパスを持て

セクターを超えたプラットフォームを作ろうとこの数か月画策してきた。
社会をよくする為の素晴らしい活動はたくさん点在しているけれど一つ一つが小さく完結していて、社会の仕組みを変えたり、社会通念をひっくり返すまでの大きなムーブメントになってない。
企業、NPO、行政、そして市民一人一人も巻き込んで何か一つの社会課題の解決に向かってアクションを起こしていくようなプラットフォームを作ろうという実験。

3年間のスケジュール、全体スキーム、推進体制をばっちり書いた企画書を作ったら、こういう仕事のやり方はいかん、とはねられた。
きれいな絵を描く前にまずは人を集めて対話をせよ、と。
そうだよね、と思って、むしろ企画書をはねられたことにほっとした。

誰かが用意した船に何も考えずに乗っかっていれば安泰、というマインドセットを変えたい。
多様な人と対話しながらそれぞれがどうやったら素敵な船を作れるか、というところから主体的に係るような仕組みを作っていかなければ。
そのためには完璧に美しい計画書を作ってそれ通りに実行していく、というのはもはや無理。
予測不能な自立的な動きが無数に発生して絡み合って、最終的にどんな形を形成していくのか分からない、ということを覚悟した上で飛び込まなきゃいけないのだろう。
そんなことをうっすら考えていたら友人が伊藤JOIさんのインタビューを紹介してくれた。
昨年ボストンでお話を聞いてからすっかりJOIさんのファン。
このインタビューもビシビシきてしまったのです。

a0158818_14154569.jpg


〇地図ではなくてコンパスを持て
「不確実性の時代では地図を一生懸命描くよりも、どう動くかというコンパスを持っているほうが重要。つまり判断基準。」
いろんなことがものすごい早さで変化する時代。こうしてこうするとこうなる、みたいなロードマップは描けない。こっちの方向だよね、というところをみんなで確認をしてあとはコンパスを手にまずは海にでてみるしかないのだろう。JOIさん曰く、「4~5年のロードマップを持っているような会社が全部今、競争力を失っている」。

〇参加型のコミュニティ
「きれいにしてから渡すのではなくて、ラフコンセンサス・ランニングコードのプロセスにお客さんを巻き込んでいく。僕が『スポンサー』から『メンバー』に名前を変えたのは、『みんな一緒に作るんだよ』というコミュニティを作らなければいけないかなと思っていたから。そういう意味でコミュニティは今すごく重要なキーワード」

完成された船に乗るだけでは係るそれぞれのプレイヤーの認識は変わらない。行動も変わらない。その結果システムも変わっていかない。進む方向だけはラフなコンセンサスを形成して、あとは走りながらみんなで一緒に作っていく。プロセスに遊びがあり、自由なスペースがあり、ルールが緩いからこそイノベーティブなアイディアが生まれやすくなっていくはず。

〇常識を疑う、専門家を疑う。
「基本的には今の体制や考え方をひっくり返していかないと、創造って出ない。

「フィールドから遠い人ほど正しい答えを持ってくる。重要なのはその分野のエキスパートよりも、実はその分野じゃない人の方が革新的な答えをひらめく可能性が高いということ。・・・多様性が強いとこが勝つ。」

「けっきょく、世の中には自分がいじっちゃいけないって騙されているものがたくさんある。」

これは非常に難易度の高いこと。ただ種々雑多な人を集めればいいというもんでもないし。どうやってセレンディピティが起きるような仕掛けや環境を用意するか。非常識にならなければ。いじっちゃいけないと信じ込まされているものをまずは壊すところから始めてみたい。

〇オブジェクトではなくシステム
「自分だけで完結して考えない方がいいということ。コンパスにせよ、システムにせよ、これらの考え方を結び合わせると、自分がつくったものが単体単独でどうなのかということよりも、これがこのシステムに入ると、システムがどう変わって、システムがこのオブジェクトとどう相互作用するかの方が重要で、それはやってみないとわからない。」

「ネットワークのどこへ繋げるか、このシステムのどこに自分たちがいてどのように繋ぐとどうなるかを一生懸命考えて、自分たちをネットワークのノードとして捉えた場合、自分たちのコアスキルってなんだろう、そのネットワークのどこにいるべきで、どういう場合にどういう関係になるのかを考え抜いて、とにかく試作品を作る」

単体の組織ではなくシステム全体を捉える発想、すごく共感。社会の構造自体が根本的な変化を必要としていることはみんな分かっている。あとはシステムの中で自分や自分の組織が果たすべき役割を徹底的に考え抜いて愚直にそのノードを作りこむしかない。

〇直観を信じてカオスを楽しむ
「今の複雑な世の中では、すべてをコントロールすることは出来ない。むしろ、例えば自分で小さなものをつくって、それがいろんなものと繋がって、『きっとうまくいく』という信念とカオスの中でどうやって生活するかという哲学がインターネットには組み込まれているのだけど、アニミズムもそうじゃないかって思う。自分の身の回りをちゃんとやっていれば、自然が全体をちゃんと守ってくれると。完全に分散型でそのシステムに自分がちゃんと気持がつながっていればいいと。ほんとに素朴なアニミズムはインターネット的な構造の力に似ていると思うんです。」

「ネットワークの中の自分の位置づけ・関係性を知ることは不可能。複雑だから。従って、そこのネットワークの中で自分がどうやっていくべきかの問題はけっこう右脳的に感じるということだと思うんです。その直観を磨くとか、そういう直観をつくるのにもやっぱり経験が必要。」

ネットワークの中でどこのピースを埋めるかを徹底的に考える。が、不確実性の時代のなかでそのネットワークだって常に流動していて、いったいどこに向かってどう変化していくかなんて予測はつかない。どうするのか、というと「直観」である。自分の感覚を信じること。きっとうまくいく、という信念。カオスの中でも生きていくという覚悟。覚悟というとなんか堅いかな。もっと手放すこと、というか。あとは信じて身を任せること。しょせん自分は大きなシステムの中の一つのノードでしかないのだから、というある種の謙抑的態度。

本当に、共感し、感嘆する部分の多いインタビューでした・・・。
こんな人と一緒に仕事したら一年中鳥肌がおさまらないんだろうなー。いつか!
まだまだ面白いことがいっぱい。早く形にしたい。
[PR]
# by nanacorico0706 | 2012-09-02 14:18 | つれづれ

ママCEO


日本のお母さんとお母さん予備軍を元気にしよう!というプロジェクトを立ち上げようとしている。
少子化という社会全体が直面している大きな変化に対して財団としてどういうアクションを取るべきか?という議論の延長で始まったプロジェクト。
母になる予定などさらさら無い感じで今月30歳を迎えた私ですが一応「予備軍」ではあるのでなんだか他人事ではない気持ちで取り組んでいる。

プロジェクトを始めると、とたんに世間のママたちやママにまつわるいろんな問題に敏感になるもの。
今日知った衝撃のニュースはコレ

a0158818_1053731.jpg先日googleの幹部からYahooのCEOに就任したMarissa Mayerがもうすぐお母さんなのだそうです!wow!
テック系の大手会社では史上最年少の女性CEO。そしてCEO就任時に妊娠していた、というのももちろん初めて。
面接でそのことをYahoo幹部に告げた時も特にイシューにはならず、好意的だったとか。すごい。

とはいえ、ステキ!と手放しで喜べないのはやっぱり初めてお母さんになるという人生の一大時に世界トップ企業を苦境から救うというこれまた超難題に挑むって・・・並大抵のことではない。大丈夫なのかしら・・・と思ってしまうのが正直なところ。

このニュースが飛び出すちょっと前にちょうど「Why Women Still Can’t Have It All」(なぜ女性はキャリアも家庭も両方手に入れることはできないか)という記事が話題になっていたそう。アメリカ国務省でNo2を務めていた女性が10代の息子2人との時間を優先する為に退職、政府要職に就きつつ家族を大切にするのは無理、という赤裸々な告白をしたもの。

60年代以降の男女平等イズムの影響を受けたこの年代の女性は「男性と同等に働いて家庭も築けるのよ!」という信念を若い世代に押し付けていませんか?という問題提起、すごく的を射ていると思う。彼女の結論は「キャリアも家庭もどっちも、は出来る。ただし今のアメリカ社会では限られた職業でのみでしか出来ない」というもの。彼女はもともとプリンストン大学法学教授。大学職員というのはある意味自分でスケジュールをコントロールできる。一方で政府のキャリアや一般企業の幹部クラスとなるとそうはいかない。膨大な数の会議が知らない間にスケジュールを埋め尽くし、自分ではコントロールできないデッドラインが押し寄せる。長時間、無休で労働しないと要職に就けない、という今の働き方システムを変えない限り、どんなに旦那さまが協力的でも、産休・育休システムが有っても、やっぱり難しいのだ。

商社に勤めていたときに総合職第一号、みたいなすごい先輩が女性社員にワークライフバランスを語る、みたいな会があって、「子供産んで2カ月で復帰、お昼休みのたびに搾乳して凍らしておいて、深夜まで仕事、タクシーで帰宅、凍らしておいたお乳をベビーシッターさんに預けてまた早朝出勤なんて時期も・・・」的な話をして若手女性社員がドン引きしてたこともあった。
気合で乗り切った時代の女性たちは本当に尊敬に値するのだけど、やはりそれでは尋常じゃない気合をもったほんの一握りの人だけが「キャリアも家庭も」を実現する社会のままだ。

久し振りに再会した商社時代の同期は会社で長く頑張ることを考えると妊娠してるから、とは言えず産休入るまで毎日深夜2時3時、みたいな生活だったとか。心配しすぎて旦那が気を病むほどで、それでも休めない、それでも休まない私って母性が足りないのでは。。。なんて思いつめたりもしたとか。なんじゃそりゃー!!

ワークライフバランス!とかって今まで美しい話や一握りのスーパーウーマンロールモデルだけ取り上げられてないでしょうか?ちゃんと国務省を退職したこの女性のように「両立なんて無理です」と告白してくれる人、大事なんじゃないかな。「このままじゃ無理」を共有した上でクリエイティブな解決策をみんなで考える場を作りたい。

お母さんを応援するプロジェクト。なかなか簡単ではない。現代の女性には「少子化なんだから子ども産みなさいよ」というプレッシャーと「女性だって一生懸命働きなさいよ」というプレッシャーが双肩にずしりとのしかかっている。でも、どちらの期待も満たせるような環境が作れればもっと楽しいはず。

Yahoo新CEOは37歳女性でママ。若い世代のロールモデルに、なんて余計な重圧を押しつけられて気の毒な気もするがやはり注目してしまうし、応援したくなっちゃう。今後が楽しみです!
[PR]
# by nanacorico0706 | 2012-07-29 10:56 | つれづれ

『Start with WHY』



a0158818_18565100.jpg
人が行動を起こす時のスイッチになるのは何だろうか?
ということを最近よく考えている。
社会をより良い方向に変えて行くには多くの人が行動を起こす必要がある。
その行動を起こすきっかけになるのは一体なんだろう?

ということを話し合っていた時にある人に勧めてもらったのが『Start with Why』. Whyから始めよ、という本。著者いわく、人が行動を起こす時のスイッチはモチベーションではなく、インスピレーションらしい。

人の行動を促そうとコミュニケーションを取る時、私たちはどうも「何を=what」と「どうやって=how」を説明したがる。が、実際に人の意思決定を促し行動を起こすのは「なぜ=why」のところだという。

なぜ、何のために?それは人や組織の価値観やビジョンそのものに触れる。

頻繁に取り上げられるのはAppleの例。Appleの製品が消費者から絶大な支持を得ている理由はipodというもの=whatの品質が素晴らしいこと、その作り方=howがとってもシンプルで美しい、ということにはない。実はAppleが提示している世界観「既存の価値観を覆し、常に今までと違った視点で考えること」に消費者が「インスパイア」されている、という。

消費者は製品そのものの品質を他と比較して優れているから買うのではなく、Appleという会社やブランドに共感したり憧れたりなんとなく惹かれている。結果的にその人たちはAppleが作ったものなら何でも買いたくなっちゃう。Appleは既にコンピューターのメーカーではなく、「既存の価値観を覆す」ことを標榜した一つのソーシャルムーブメントであり、消費者がその大きな流れの一部になりたいと願うのだ、と。

安くて新しい機能があるから買う、という「モチベーション」のレベルではなく、言語化出来ないような「インスピレーション」のレベルに人の行動を促すヒントがあるということらしい。

だから、自分たちのやりたいことを誰かに説明するときにはwhyから始めなければならない。なぜそれを私たちがやるのか?
どんな世界を思い描き、目指しているのか。
ここに共感してもらった瞬間にそこに行きつく為に「何を」「どうやって」やるか、というところは自然と付いてくる。

企業と一緒にCSRのプロジェクトを立ち上げる時、企業にとってのメリットは何か?ということを考えがち。
マーケティング効果がある、新規ビジネスの立ち上げに繋がる、より企業の特性が活かせるプログラムになる・・・
こういう「インセンティブ」では1度は事業を一緒に出来たとしても長期的に付き合っていくのは難しい。
目指すべき未来社会の姿を共有できれば、そのビジョンの元に長期にわたってあらゆるアプローチを検討できる。
ビジョンが企業自身の掲げるビジョンとシンクロすれば経営戦略の軸に社会イノベーションを織り込むことだって。

Whyから始めることは他人の行動を促す為のルールに見えて実はインナーコミュニケーションとしてもとても大事。
私は何をやりたいか?ということは結構自分に問うものだけど、なぜそれをやりたいか?を問うことは少ない。
何のために生きていくんだっけ?というところが明確になっているときっとそこを目指す為の道の険しさや日々のむなしさなんかが平気になる。愛おしくさえなったり。

企業の行動変容を促す、という大きすぎる目標を掲げているのが今の仕事。企業だって個人の集まりで、日々多様な人と出会いながら一緒に行動を起こしてもらえないか、ということを押したり引いたりしているわけです。
もっと私たちの、私自身のwhyをクリアにして、世界観を共有して、まずは小さな傾きを作っていきたい。
いつかその小さな傾きが大きく流れを変える。

TED talkはこちら
[PR]
# by nanacorico0706 | 2012-06-28 19:04 | 読書

未来のOwnershipのカタチ


a0158818_15231178.jpgソーシャルビジネスの為の新しい法人格、実はずっと気になっていて、大学院で一本レポートを書いたりしていた。日本ではほとんど話題に上がらないけどアメリカではこの4、5年でLow Profit LLC(L3C)Benefit CorporationFlexible Purpose Companyと続々新たな法人格が提案されていて既に10以上の州で法が施行されている。イギリスでも2005年にCommunity Interest Companyという新たな法人格が誕生し既に6,500社が登録しているとか。

社会的なミッションの為に存在するけれども助成金などに頼らず事業収入を得ながら自立的に運営していくソーシャルビジネス。こういった団体にとってNPOの形態では市場からの柔軟性の高い資金調達が困難。とはいえ株式会社とすると事業が成長して外部の株主が参画する際にミッションドリフトを起こすリスクと直面する。

そんなジレンマを解消しようというのがこういった新しい法形態なのだ。例えばアメリカで拡大傾向にあるBenefit Corporationは定款に社会・環境インパクトの創出を組織の最大ミッションとすることが定められ、会社の経営陣は株主利益の最大化という義務を負わない、と明記されている。これによって社会・環境インパクトと経済的インパクトの両立を目指すというトリプルボトムラインの追求がより容易になるというわけ。

とはいえアメリカのこのシステム、定款で「ソーシャル優先でよろしく!」と宣言しているだけに過ぎず、果たしてソーシャルとファイナンシャルがトレードオフになった時に本当にソーシャルを優先できるのかどうかはその時の経営陣の心意気に掛っている。

生ぬるい!

と血気盛んな大学院生だった私はもう一歩踏み込んだイギリスのCommunity Interest Company(CIC)の方がスキ!だった。そのCICを運営している人に英国出張中に会うことが出来た。

CICは株式を発行出来るNPOのようなもの。基本的には英国法上のLimited Companiesでガバナンスの形態は株式会社と同様。ユニークなのは社会的なミッションに基づいた組織であるという政府機関からのテストをクリアしなきゃいけない、ということと‘Asset Lock’と言って組織の資産の取り扱いに制限がかかっていること。基本的にCICの資産は株主ではなく「コミュニティ」(地元のコミュニティでも受益者グループでも国際社会でもよい)に属している。Ownership、会社は誰のものか?みたいな根源的で社会学的な問いに突っ込んでるあたりがアメリカのB Corporationとは違う面白さがあると思うのだ。

具体的な制約として、例えば株主配当に制限がかかっていたり(株式価値の20%まで)、株式の売却は通常の会社ではなくCICやNPOにしか行えない。

この辺り、投資の流動性を下げるからと投資サイドからは反発も多いらしい。とはいえ全国で6,500社の登録はすごい。日本の上場企業数って2,000社超なわけだから、これだけで十分取引可能なマーケットになっていると言えないだろうか?開始から7年で配当を実施したのがたったの2社しかないらしいのでもちろん市場と言えるような状態ではまだないけれど、今後の展開はとても楽しみ。

会社は株主のものではない、という主張が力を増すについて社会の制度がそれを具現化し始めている。

社会がビジネスに求める役割が変化している証拠。法人格という器の形の急速な進化はまさに社会的要請の高まりを映しているのだろう。最近、社会が変わるということはアクター間の関係性やパワーダイナミクスが崩れ、再定義されることなのかも、と思ったりする。企業活動において最もパワフルだった株主の制度的ポジションが危うくなっているということはまさに社会の変化の象徴。日本でも、既に起こっている未来。
[PR]
# by nanacorico0706 | 2012-05-06 15:33 | 勉強


2年間の米国留学生活をゆるゆると綴ります・・・
カテゴリ
全体
読書
勉強
Net Impact
america life
パキスタン
つれづれ
おしごと
未分類
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
最新の記事
政府とおしごと
at 2014-08-09 10:40
広告の終焉から始まるもの
at 2013-10-06 15:56
massive scale ..
at 2013-09-09 00:49
寄付と遊びの関係
at 2013-09-01 23:37
2013
at 2013-01-03 16:22
SOCAPデビュー
at 2012-10-25 08:58
地図ではなくてコンパスを持て
at 2012-09-02 14:18
ママCEO
at 2012-07-29 10:56
『Start with WHY』
at 2012-06-28 19:04
未来のOwnershipのカタチ
at 2012-05-06 15:33
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧