旅の途中



カテゴリ:つれづれ( 22 )


massive scale collaborationと企業の役割

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TEDのプレゼンテーション、今まで見た中で中で一番ビックリ楽しい!だったのはこれ。
ルイス・フォン・アーン 「ネットを使った大規模共同作業」


よくネットで買い物する時とかに出てくる時に出てくるセキュリティチェックの為の「ぐにゃぐにゃ文字」、すっかりおなじみになったけど、実はこれ、古文書を電子化して保存するのに役立っている!
コンピューターでは読み込めず、人間の目でしか識別できないような文字を読ませる、という機能を利用してコンピューターが認知できない傷んだ古文書の文字を少しずつたくさんの人の入力を通じて、電子化していく。
毎日2億回、50万時間が費やされるこのイライラ入力作業が実は社会に貢献していたのだ。
これからはイライラせずに頑張ろう。
この技術をを発明したエンジニアが膨大な時間の集合体を何か社会に役立てられないか、と発想して出来た。
こういうのをイノベーティブな発想、というのだな、と目から鱗なのでした。

インターネットのお陰でこういう世界中に分散したものすごい数の時間やおカネや労力を集合化できるようになってきた現代。
莫大な数の顧客を抱えるBtoCの企業が果たせる新たな社会的役割の鍵がここにあるのでは、と思っている。

今年5月に開催した未来を変えるデザイン展の出展企業との会話でも何度もそう感じた。
1億人以上のユーザーを抱えるゲーム会社。毎日10秒でも1億人のユーザーが社会課題の解決に時間を費やしたら世界は変わる!と説く人もいる。
1億人のユーザーの1%でも社会課題に対しての署名運動に参加すると100万人の市民の声が集まることになる。

車に搭載されたナビゲーションシステムがネットワーク化されている時代。
何万台という車が近隣で自分の車の位置情報を公開して移動困難者をピックアップ出来るシステムがあってはどうか。
ドライバーが走行中に気付いた交通インフラの劣化ポイントをきづいた時点でデータ発信して自治体にアクションを求めることも出来るかもしれない。ついでにETCでインフラ改善の為の寄付までできたら面白いのでは、なんて妄想も飛び出した。

日本と世界の未来を変えるビジネス。
何度も何度も議論する中で見えた一つの共通項は中央集権型から自立分散型へ。
一つの企業対マスとしての消費者、という図式はもう成り立たないんじゃないか、ということ。
消費者同士がサービスを提供しあったり、企業をハブとした消費者のコミュニティが出来あがったり、そのコミュニティでムーブメントが起きたり、そういうことが普通になっていく。
これからのCSRは利益の1%寄付すればよい、ということではない。
ステークホルダーに「配慮」して事業をします、ということでもない。
課題解決のフラッグシップとなってステークホルダーを巻き込み、社会をより良くするために消費者のライフスタイルや価値観さえも変えるようなイノベーションを提供することなのではないだろうか。
途方もない数の消費者、つまり「市民」にリーチ出来ると言うこと、その社会的な価値にレバレッジをかけることが、多額の寄付よりも大きなインパクトになると思うのだ。

言うは易し。ぶつけたアイディアは共感さえされなかった。
まだまだまだまだまだまだ力不足なり。
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by nanacorico0706 | 2013-09-09 00:49 | つれづれ

2013

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あけましておめでとうございます。
なんだか1年を振り返る余裕もないまま年が明けてしまった・・・
落ち着いて本を読んだり、立ち止まって振り返ったり先を見据えたりする時間を作らないといかんなー。

2012年はとても忙しくて体感速度的には「早かった!」だけど、帰国して1年半、と口にすると「まだそれだけ?!」って感じ。
もう10年ぐらいこの業界に生きている気がする。笑。
それぐらい居心地がよくなってしまっているのではないか。いかん。

ありがたいことにこのたったの1年半でとても面白い仕事にかかわらせてもらったし、信じられないほど多くの尊敬する方々との出会いを頂いてきた。
2013年はまいた種をきちんと育てて形にできるよう地に足をつけて頑張りたい。

一方でもっともっと「はみ出さなきゃ」とも思う。
居心地がよくなっちゃいかん。
小さな世界でまとまってはいかん。という焦りもある。
表層的な承認にかまけて本質的な問いや価値の研鑽を忘れてはいけない。

先月の選挙で記録的に低い投票率を見て、正直びっくりした。
Facebookであれだけみんな「投票なう!」とか言ってたのに!みたいな。
それだけ自分を取り巻くコミュニティがとても狭くて特殊だということ。
共感する人同士で固まっているだけでいいのだろうか。という疑問。

ソーシャルイノベーション、なんて言葉を使って母親に自分の仕事を説明しようとするときの歯の浮く感じ。全然伝わってないし。
もっと自分にチャレンジを課さなきゃいけないのだろうと思う。

最近読んだ平田オリザさんの本に「会話(カンバセーション)」=と「対話(ダイアローグ)」の違いについての一節があった。

会話は価値観や生活習慣なども近い親しい者どうしのおしゃべり。対話はあまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも価値観が違う時に起こるその摺合せなど。

対話(ダイアローグ)、最近非営利セクターではとてもよく耳にする言葉で、実際セミナーやイベントでも対話型のものに参加することは多い。
ただ、オリザさんの定義に従うと、どうも最近「対話」ではなく「会話」になってしまうことが多いな、と思うのだ。
居心地が良すぎる。
たったの1年半ですっかり同質性の高いコミュニティを見つけ居場所を確保してしまったのだろう。

再びオリザさんの言葉を借りれば、「対話的精神」とは異なる価値観を持った人と出会うことで、自分の意見が変わっていくことを潔しとする態度のこと。あるいは、異なる価値観を持った人と出会って議論を重ねたことで、自分の考えが変わっていくことに喜びさえも見出す態度、だと。

自分のコミュニティをはみ出して、異なる価値観に嬉々として会いに行くよういしないと、と思う。
とても気の進まないことだったりするものだ。
それは知らない世界に出会う、というオープンでさらっとした邂逅とはまた違うから。
へーアメリカ人は家で靴脱がないのねー面白―い、みたいな異文化との接触ではない。
脱ぐ人と脱がない人が一緒に暮らすとなったときに、さーどうする、っていう話だ。
それは「なぜ脱ぐのか」みたいな今まで当たり前過ぎて考えたこともなかったような問いと対峙することを意味する。
「なぜ脱ぐのか」をかみ砕き、その必要性を説明し、理解を求め、相手の行動の変容を促す、という大変な作業を要する。
当然相手もこちらに対し「なぜ脱がないのか」をかみ砕き、その必要性を説明し、理解を求め、行動の変容を促してくる。
そのうちに「脱ぐ」と「脱がない」の混合物みたいな素晴らしくて新しい価値が生まれるかもしれない。
ソーシャルイノベーションってそういうことかもね。

対話力、もっと鍛える必要があるな、と感じている。
「対話的精神」もそうだけど、「対話の技術」もあるのだろう。
先日一時帰国中の井上先生がコミュニケーション能力は右脳的直観と思われがちだが実はテクノロジーだ、というようなことを仰っていて納得。
井上先生がとても自然に感覚的にやっているように見える問いとか相づちとかちゃちゃ入れとか、実はものすごい気を使って意図的にやっているんだろうと思う。なんだかわかる。

2013年は居心地の悪いエリアに嬉々としてはみ出していくことを目標とします。
茫然自失としたり否定されて凹んだりすることを「これこれ」と喜んで受け入れられるように。
いい年にしよう!
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by nanacorico0706 | 2013-01-03 16:22 | つれづれ

地図ではなくてコンパスを持て

セクターを超えたプラットフォームを作ろうとこの数か月画策してきた。
社会をよくする為の素晴らしい活動はたくさん点在しているけれど一つ一つが小さく完結していて、社会の仕組みを変えたり、社会通念をひっくり返すまでの大きなムーブメントになってない。
企業、NPO、行政、そして市民一人一人も巻き込んで何か一つの社会課題の解決に向かってアクションを起こしていくようなプラットフォームを作ろうという実験。

3年間のスケジュール、全体スキーム、推進体制をばっちり書いた企画書を作ったら、こういう仕事のやり方はいかん、とはねられた。
きれいな絵を描く前にまずは人を集めて対話をせよ、と。
そうだよね、と思って、むしろ企画書をはねられたことにほっとした。

誰かが用意した船に何も考えずに乗っかっていれば安泰、というマインドセットを変えたい。
多様な人と対話しながらそれぞれがどうやったら素敵な船を作れるか、というところから主体的に係るような仕組みを作っていかなければ。
そのためには完璧に美しい計画書を作ってそれ通りに実行していく、というのはもはや無理。
予測不能な自立的な動きが無数に発生して絡み合って、最終的にどんな形を形成していくのか分からない、ということを覚悟した上で飛び込まなきゃいけないのだろう。
そんなことをうっすら考えていたら友人が伊藤JOIさんのインタビューを紹介してくれた。
昨年ボストンでお話を聞いてからすっかりJOIさんのファン。
このインタビューもビシビシきてしまったのです。

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〇地図ではなくてコンパスを持て
「不確実性の時代では地図を一生懸命描くよりも、どう動くかというコンパスを持っているほうが重要。つまり判断基準。」
いろんなことがものすごい早さで変化する時代。こうしてこうするとこうなる、みたいなロードマップは描けない。こっちの方向だよね、というところをみんなで確認をしてあとはコンパスを手にまずは海にでてみるしかないのだろう。JOIさん曰く、「4~5年のロードマップを持っているような会社が全部今、競争力を失っている」。

〇参加型のコミュニティ
「きれいにしてから渡すのではなくて、ラフコンセンサス・ランニングコードのプロセスにお客さんを巻き込んでいく。僕が『スポンサー』から『メンバー』に名前を変えたのは、『みんな一緒に作るんだよ』というコミュニティを作らなければいけないかなと思っていたから。そういう意味でコミュニティは今すごく重要なキーワード」

完成された船に乗るだけでは係るそれぞれのプレイヤーの認識は変わらない。行動も変わらない。その結果システムも変わっていかない。進む方向だけはラフなコンセンサスを形成して、あとは走りながらみんなで一緒に作っていく。プロセスに遊びがあり、自由なスペースがあり、ルールが緩いからこそイノベーティブなアイディアが生まれやすくなっていくはず。

〇常識を疑う、専門家を疑う。
「基本的には今の体制や考え方をひっくり返していかないと、創造って出ない。

「フィールドから遠い人ほど正しい答えを持ってくる。重要なのはその分野のエキスパートよりも、実はその分野じゃない人の方が革新的な答えをひらめく可能性が高いということ。・・・多様性が強いとこが勝つ。」

「けっきょく、世の中には自分がいじっちゃいけないって騙されているものがたくさんある。」

これは非常に難易度の高いこと。ただ種々雑多な人を集めればいいというもんでもないし。どうやってセレンディピティが起きるような仕掛けや環境を用意するか。非常識にならなければ。いじっちゃいけないと信じ込まされているものをまずは壊すところから始めてみたい。

〇オブジェクトではなくシステム
「自分だけで完結して考えない方がいいということ。コンパスにせよ、システムにせよ、これらの考え方を結び合わせると、自分がつくったものが単体単独でどうなのかということよりも、これがこのシステムに入ると、システムがどう変わって、システムがこのオブジェクトとどう相互作用するかの方が重要で、それはやってみないとわからない。」

「ネットワークのどこへ繋げるか、このシステムのどこに自分たちがいてどのように繋ぐとどうなるかを一生懸命考えて、自分たちをネットワークのノードとして捉えた場合、自分たちのコアスキルってなんだろう、そのネットワークのどこにいるべきで、どういう場合にどういう関係になるのかを考え抜いて、とにかく試作品を作る」

単体の組織ではなくシステム全体を捉える発想、すごく共感。社会の構造自体が根本的な変化を必要としていることはみんな分かっている。あとはシステムの中で自分や自分の組織が果たすべき役割を徹底的に考え抜いて愚直にそのノードを作りこむしかない。

〇直観を信じてカオスを楽しむ
「今の複雑な世の中では、すべてをコントロールすることは出来ない。むしろ、例えば自分で小さなものをつくって、それがいろんなものと繋がって、『きっとうまくいく』という信念とカオスの中でどうやって生活するかという哲学がインターネットには組み込まれているのだけど、アニミズムもそうじゃないかって思う。自分の身の回りをちゃんとやっていれば、自然が全体をちゃんと守ってくれると。完全に分散型でそのシステムに自分がちゃんと気持がつながっていればいいと。ほんとに素朴なアニミズムはインターネット的な構造の力に似ていると思うんです。」

「ネットワークの中の自分の位置づけ・関係性を知ることは不可能。複雑だから。従って、そこのネットワークの中で自分がどうやっていくべきかの問題はけっこう右脳的に感じるということだと思うんです。その直観を磨くとか、そういう直観をつくるのにもやっぱり経験が必要。」

ネットワークの中でどこのピースを埋めるかを徹底的に考える。が、不確実性の時代のなかでそのネットワークだって常に流動していて、いったいどこに向かってどう変化していくかなんて予測はつかない。どうするのか、というと「直観」である。自分の感覚を信じること。きっとうまくいく、という信念。カオスの中でも生きていくという覚悟。覚悟というとなんか堅いかな。もっと手放すこと、というか。あとは信じて身を任せること。しょせん自分は大きなシステムの中の一つのノードでしかないのだから、というある種の謙抑的態度。

本当に、共感し、感嘆する部分の多いインタビューでした・・・。
こんな人と一緒に仕事したら一年中鳥肌がおさまらないんだろうなー。いつか!
まだまだ面白いことがいっぱい。早く形にしたい。
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by nanacorico0706 | 2012-09-02 14:18 | つれづれ

ママCEO


日本のお母さんとお母さん予備軍を元気にしよう!というプロジェクトを立ち上げようとしている。
少子化という社会全体が直面している大きな変化に対して財団としてどういうアクションを取るべきか?という議論の延長で始まったプロジェクト。
母になる予定などさらさら無い感じで今月30歳を迎えた私ですが一応「予備軍」ではあるのでなんだか他人事ではない気持ちで取り組んでいる。

プロジェクトを始めると、とたんに世間のママたちやママにまつわるいろんな問題に敏感になるもの。
今日知った衝撃のニュースはコレ

a0158818_1053731.jpg先日googleの幹部からYahooのCEOに就任したMarissa Mayerがもうすぐお母さんなのだそうです!wow!
テック系の大手会社では史上最年少の女性CEO。そしてCEO就任時に妊娠していた、というのももちろん初めて。
面接でそのことをYahoo幹部に告げた時も特にイシューにはならず、好意的だったとか。すごい。

とはいえ、ステキ!と手放しで喜べないのはやっぱり初めてお母さんになるという人生の一大時に世界トップ企業を苦境から救うというこれまた超難題に挑むって・・・並大抵のことではない。大丈夫なのかしら・・・と思ってしまうのが正直なところ。

このニュースが飛び出すちょっと前にちょうど「Why Women Still Can’t Have It All」(なぜ女性はキャリアも家庭も両方手に入れることはできないか)という記事が話題になっていたそう。アメリカ国務省でNo2を務めていた女性が10代の息子2人との時間を優先する為に退職、政府要職に就きつつ家族を大切にするのは無理、という赤裸々な告白をしたもの。

60年代以降の男女平等イズムの影響を受けたこの年代の女性は「男性と同等に働いて家庭も築けるのよ!」という信念を若い世代に押し付けていませんか?という問題提起、すごく的を射ていると思う。彼女の結論は「キャリアも家庭もどっちも、は出来る。ただし今のアメリカ社会では限られた職業でのみでしか出来ない」というもの。彼女はもともとプリンストン大学法学教授。大学職員というのはある意味自分でスケジュールをコントロールできる。一方で政府のキャリアや一般企業の幹部クラスとなるとそうはいかない。膨大な数の会議が知らない間にスケジュールを埋め尽くし、自分ではコントロールできないデッドラインが押し寄せる。長時間、無休で労働しないと要職に就けない、という今の働き方システムを変えない限り、どんなに旦那さまが協力的でも、産休・育休システムが有っても、やっぱり難しいのだ。

商社に勤めていたときに総合職第一号、みたいなすごい先輩が女性社員にワークライフバランスを語る、みたいな会があって、「子供産んで2カ月で復帰、お昼休みのたびに搾乳して凍らしておいて、深夜まで仕事、タクシーで帰宅、凍らしておいたお乳をベビーシッターさんに預けてまた早朝出勤なんて時期も・・・」的な話をして若手女性社員がドン引きしてたこともあった。
気合で乗り切った時代の女性たちは本当に尊敬に値するのだけど、やはりそれでは尋常じゃない気合をもったほんの一握りの人だけが「キャリアも家庭も」を実現する社会のままだ。

久し振りに再会した商社時代の同期は会社で長く頑張ることを考えると妊娠してるから、とは言えず産休入るまで毎日深夜2時3時、みたいな生活だったとか。心配しすぎて旦那が気を病むほどで、それでも休めない、それでも休まない私って母性が足りないのでは。。。なんて思いつめたりもしたとか。なんじゃそりゃー!!

ワークライフバランス!とかって今まで美しい話や一握りのスーパーウーマンロールモデルだけ取り上げられてないでしょうか?ちゃんと国務省を退職したこの女性のように「両立なんて無理です」と告白してくれる人、大事なんじゃないかな。「このままじゃ無理」を共有した上でクリエイティブな解決策をみんなで考える場を作りたい。

お母さんを応援するプロジェクト。なかなか簡単ではない。現代の女性には「少子化なんだから子ども産みなさいよ」というプレッシャーと「女性だって一生懸命働きなさいよ」というプレッシャーが双肩にずしりとのしかかっている。でも、どちらの期待も満たせるような環境が作れればもっと楽しいはず。

Yahoo新CEOは37歳女性でママ。若い世代のロールモデルに、なんて余計な重圧を押しつけられて気の毒な気もするがやはり注目してしまうし、応援したくなっちゃう。今後が楽しみです!
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by nanacorico0706 | 2012-07-29 10:56 | つれづれ

イギリス出張


a0158818_9281657.jpgイギリス、実はけっこう縁のある国で、始めて行ったのは大学時代に付き合っていた彼を訪ねて。テートモダンなんかでモダンアートに衝撃を受けていた。2004年。
数年後に再訪したのはロンドンシティ、金融センターで不動産投資を担当していたころ。その後何度かロンドンで仕事をした。少数の金持ちグループの間でぐるぐるとおカネが回る仕組に強烈な違和感を抱いていた。2007年。

そして、先週、久しぶりのロンドン。
これまでの訪問とは違って、自分が来るべきところに来ているという実感を持ってこの土地を踏みしめた気がする。

前回渡英時とは打って変わって不況にあえぐイギリスで興りつつあるソーシャルセクターの発展を見る。日本に持ち帰ってすぐにでも動き出したいという想いも。

Unltd Impetus Venturesomeなどなど、イギリスで社会起業家支援やソーシャルセクターの発展に寄与していると言われるベンチャーフィランソロピーの雄を訪ねて回るぜいたくなツアー。日本でやるとしたらどんな風にしたらいいのだろう、テクニカルに聞きたいことは山ほどあって、たくさん質問して、空欄を埋めて帰ってこれた気がする。動き出したい。早く早く。

一方で、もっと原点というか、大事なことってそんなテクニカルなもんでもないよね、ということも当たり前だけど再認識。立ち上げ初期にUnltdから支援をされていたNPOのおっちゃんに「Unltdの何が良かった?」と聞いたら「とにかくいいヤツらなんだよー。」と。

どんな人がいるか、ホントに大事。どんなに仕組をがっちり作ってもそこを落としたらもうダメだ。コンサルや投資マネージャーの経験がある、というスペックだけで人を集めてはいかん。元ベンチャーキャピタリストというだけで理事を固めちゃいかん。企業家のコミットしている問題にちゃんと共感して寄り添って、「応援してもらっている」と感じさせるだけの人じゃなきゃダメなんだろうと思う。自分にそんな度量はあるのかしら・・・

スコットランドで参加したカンファレンスのスピーカーの一人がソーシャルセクターが抱える一番の課題は「too much knowing」だ、と語っていた。知り過ぎること、聡くなりすぎること。

知らない、分からないというスペースがイノベーションの為にはどうしても必要だ、と彼女は続けた。「自分はエクスパティーズを持っている」と言う人も、「私はなにも持ち合わせていない」と言う人もどちらにも疑問を投げかけねばならない。洗練された事業実施力や綿密な効果測定や効率的な投資スキームも大事だが、私たちは知り過ぎていないか?知っている気になってはいないか?ソーシャルビジネスがメインストリームになればなるほど、Art of not knowing、知らない、分からないという態度が持つイノベーションのポテンシャルを忘れてはいけない。

深く同感。ベンチャーフィランソロピーやるとしたら、成功モデルをスケールする為だけのツールになり下がってはいけないと思う。投資の世界で通用してきたアプローチを非営利セクターに移植するだけではダメなのだ。もっと新しい実験をどんどんやっていきたい。確立したアプローチを世に出すのではなく、作っては壊し、また作って、みたいなことをやっていきたい。その過程を共にしたい人もたくさんいる。

イギリスで充電したエネルギー、徐々に漏電しちゃいそう・・・なので早めに発散する!
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by nanacorico0706 | 2012-04-12 09:28 | つれづれ

働く


『会社を設立したのは、大いに貿易をやりたいというのが眼目であった。金が欲しいのではない。仕事がしたいと思ったのだ。』

大学を卒業してすぐ勤めた商社の創設者の言葉だ。明治の初め、これから日本が世界に出ていかんとする頃、20代の若者が作ったいわばベンチャー企業だったのだと思う。金が欲しいのではなく、ただ面白い仕事が、自分を賭して社会に資するような仕事がしたい、という想い。

長い時間を経て昨日、元同期がこの会社を退社した。「とにかく仕事が面白くなかったんだ。自分のやっていることがどんな価値を生み出しているのか分からない。生み出している価値と全く釣り合わない給料をもらっていて世間の人に申し訳ないと思う」と。彼女も、金が欲しいのではない、仕事がしたかったのだ。

自分のやっている仕事が社会と繋がっている実感が持てなくて鬱々としている若い社会人、多い。社会起業家に憧れる若者が増えているのは、自分の「仕事」が生み出す価値を感じられるような場を探し求めているからなのだろう。

「最近、特定の社会課題に出会う前に社会起業家というアプローチに興味を持つ人が多い。ホームレス支援の為に起業したいんです!とか言うんだけど、ホームレスになったことがあるわけでも身近にそういう人がいたわけでもなく彼がその課題に取り組む必然性が全く見えなくて・・・」と困惑する話を聞いた。

その違和感は至極ごもっとも、と思う。だけどこれが時代の必然なのかもしれないとも思う。社会起業というものが社会課題解決の手法ではなくて、働き方の一つの選択肢になってきたということだろう。

個人的には、もっともっとその選択肢を増やしたらいいんじゃないかな、と思う。一流メーカーや商社、証券会社なんかに並んで事業型NPOやコミュニティビジネスが就職先の候補になる時代がくる。NPOやソーシャルビジネスが社会課題解決の為の担い手だった時代は終わったのかも。これからは個人がイキイキと働く場を提供する社会経済活動の担い手になる。仕事と社会が繋がるような職業がメインストリームになっていく。

非営利活動やソーシャルビジネスは政府、企業という2つのセクターがカバー出来ない空白地帯を埋めるこれまでの消極的な役割を超えていく。市場の失敗や資本主義システムから落ちこぼれた人たちを救うセーフティネットの機能を凌駕していく。社会貢献したい、という奇特な精神を持った誇り高き(または独りよがりな)人たちだけのニッチ業界を脱していく。むしろ、全く新しい価値に基づいた全く新しいマーケットを創り出し、ビジネスの分野を食っていくぐらいになっていくのだと思う。雇用を生み、社会的価値はもちろん、経済的価値も生み出し、場合によっては税金も納める。なにより、働くことに喜びを見出す人がたっくさん増える。

実際、ビジネス分野から非営利セクターへの静かな人材の移動は始っている。だって、この分野の方が「金が欲しいのではない、大いに仕事がしたいのだ」という人にとってはよっぽど楽しいのだ。

働く、ということは本来利己と利他の精神が混じり合ったものだったのだと思う。会社、と言う働く為の器がその混じり合いを受けとめられなくなってきていたというだけで。これからはどんどん『雑種』が増えていく。まるっきり功利的なビジネスでもなく、完全に社会奉仕的チャリティでもなく、ほどよく混じり合った雑種。個人も事業体も。

再び、ある商社の創設者の言葉。『眼前の利に迷い、永遠の利を忘れるごときことなく、遠大な希望を抱かれることを望む。』素敵です。心に刻もう。
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by nanacorico0706 | 2012-02-26 01:20 | つれづれ

2012

2012年に突入して早1カ月が経ってしまった・・・遅すぎるけどNew year’s resolutionを。

<社会をよくする投資を具体化したい>
まだバチッとスイッチ入ってるわけじゃないけど、地中ふかくでもぞもぞと動き出している種がいくつかある。
パートナーとなってくれそうな人と繋がったり、先行する人たちの事例を体感できたり、研究会経ち上げたり、色んな人の話を聞くなかでニーズを確認出来たり、想いを同じくする人とお食事会することになったり。組織を超えて動いていることがダイナミックでかつ危なっかしくて面白い。

今のワクワクがすっと実を結ぶほど甘くない、のだけれど、動き出してみないと分からないものもある。ビジョンを明確化するのが先か、とりあえずは目の前に転がっているチャンスに手を伸ばしてみるべきか。一つに集中するべきか、色々やりながら変質させていくべきか。取り返しのつかないところに行ったもん勝ちだなー。

<社会学の勉強>
これは昨年に引続き継続する。目標は12冊。
特にGift Economyについてはきちんと。とりあえず贈与論読んだ。

<コト起こし>
17年住んだ柏の家から引っ越すことになった。築30年ぐらいの古い一軒家、格安売り出し中です!さくっと売却もいいけど、どうせならShare Houseとかしてくれる人いないかなー。週末の農作業用の家とか工房とかにして借りてくれる人いないかなー。企画考案中。

Exchangeやります!とりあえず皮切りは3月に日本財団ビルで。今後は古着交換会、だけではなく、お食事とか、オーガニックなワインとか、ヨガとか、ソーシャルな映画上映とか、音楽鑑賞とか、なんか色々やりたい。

<愛すること>
去年の誕生日に掲げたこの目標。振り返ってみれば全然出来てなかった半年間。反省。もっと丁寧に日々を紡がないといけないな。ある人が愛するってことは「○○さん」と呼ばれたらちゃんと「はい」とその人の目を見て身体を向けて返事をする、そういうことだ、と言っていた。そういうものかもしれないと思う。他人に対して丁寧に気を配れることだと思う。

愛情は自然と生まれるものではなく行為にくっつくもの。毎日きちんと心を平らかにしていい笑顔をすること、守衛のおじさんに元気に挨拶をすること、心をこめてありがとうとごめんなさいを言うこと。好きな人のなかに自分を見つけようとしないでちゃんとその人を見ること。一番シンプルで難しいこと。

そして2012年は30歳になるのだ!節目として、親友と二人で第二の故郷カンボジアに帰還、人生を見つめなおす予定。

毎日楽しい、感謝、そして日々精進。
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by nanacorico0706 | 2012-01-29 22:30 | つれづれ

新しいおカネのまわり方


今の会社を受ける時、「社会的投資ファンドを作りたいんです。リターンを生まないやつを。」と言って面接官に「なかなか刺激的だねぇ」と半ば引かれたのを記憶している。

財団がやってきたこととはかけ離れているしまさか採用にはならないと思っていた。

8月から働き始めて約6カ月。あの時表明したやりたいこと、まだ忘れちゃいないぜ。

別にファンドをやりたいとか、Impact Investingをやりたいとか、そういうことではなく、多分おカネの持つ社会的な意味を変えていきたいのだと思う。もっと良い使われ方があるはず。

今ねちねちと妄想している形はおそらくVenture Philanthropyに近い。が、この呼び方には常々違和感があった。「それって何?」と聞き返された時に「従来のチャリティのようにおカネをあげっぱなしにするのではなく、ベンチャーキャピタルのような手法で・・・」と続くこのベンチャーキャピタルのような手法、ってところが妙に浮く。

一つは私、ベンチャーキャピタルの手法とか滔々と語れるほど知らないし。笑。

もう一つは、既存の資本主義システムの型にすっぽりはまったベンチャーキャピタルっていうアプローチを模倣することが私がやりたいことの本質ではない気がする・・・というもの。(すごい偉そうだけど・・・)

で、先日IIHOEの川北さんがさらっと会議で言っていたこの一言にすとんと落ちた。

「モノ・コトにおカネを出していてはいけないんだ。Enterpriseに出すように変えていかないと」

すごくシンプルに、そういうことだと思う。Venture Philanthropyももちろんやろうとしていることは一緒だけど、ベンチャーキャピタルの手法を使って云々、ではなく、一言で言えばつまり、社会的インパクトを生みだしていくようなEnterpriseを育てていくこと。それがNPOだろうと株式会社だろうとなんでもいい。非営利の世界も、営利の世界も変わっていく、そういうおカネのまわり方。

具現化するときにやりたいこと3つ。

「Local Capitalを活用する」
投資ファンドが東京にあって財団や企業からInitial Fundが出ていたとしても、投資先が活動する地域からもおカネを出してくれる投資家や市民ファンドなんかを巻き込みたい。そっちからのおカネで十分足りるのであればおおもとのファンドからおカネは一切出さないのが尚良い気がする(人は出しても)。

これは投資家が親方日の丸になるのを避けたいが為。投資家と投資先は居酒屋で意気投合してそれ面白いから一緒にやろうよ!という関係が理想。もしくは、出資することで直接のリターンはないけど地域がもっと良くなることで間接的に自分もハッピーになるわ、という距離感のローカルサークルにはいっている市民からの資金提供が素晴らしい。「金出してやってんだ」メンタリティも「いいからおカネだけ下さい」メンタリティも排除したい。

「おカネの出し方」
投資かグラントか、の選択ではなく、投資もグラントも。Omidyar Networkがやっているように投資先の組織形態や成長度合い、取り組んでいる領域に合わせて投資、融資、グラントと柔軟に対応していく手法がいいな。融資だってマーケットレートで貸すやり方でもいいし、NPOバンクのように利率0%があってもいい。配当の決定にコミュニティのステークホルダーの許可が必要、といった条件付きの投資なんかも面白い。

「非組織化」
組織化しないなんて無理な話だが組織化で失われるものって多いって感じている。マザーテレサは組織化と効率化をすれば愛が無くなると言って彼女の運営していた家をモデルにした全国展開を拒否したとか。効率的で洗練された組織はどうしても遊びが無くなるし異質な人や気持ち悪いぐらい新しいアイディアが侵入する余地を少なくしてしまう。プロボノとかボランティアとかインターンとかイントラプレナーとかアルバイトとか入り乱れるような安定感の無い組織にしたい。

とどれもこれもただの妄想である。が、今年も今日で終わり。ここ数年ずっと個人的なテーマである新しいおカネのまわり方について勝手な妄想で閉じるのも悪くなし。来年は妄想を少しずつでも構想に進化させていきたい。

個人的に本当にExcitingな一年でした!世界は悲しみや混乱や怒りに多く触れた一年、そしてそういう困難に強く立ち向かう人間の強さを再認識させてくれた一年。新しい年をこんなに楽しみに迎えられることの幸せを噛みしめながら、来年もよりよい社会を作ることに微力ながら力を尽くすことを誓います。
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by nanacorico0706 | 2011-12-31 17:20 | つれづれ

脱消費社会を考える


2年間の留学生活から東京で会社員、に戻るにあたって一番怖かったことの一つが、ハイパー消費社会の渦にもう一度飛びこまなきゃいけないことだった。

オシャレなお店なんて皆無のアメリカ片田舎生活のお陰で私は2年間まともに洋服も買わず、化粧もせず、外食もせず、通学は毎日徒歩、スタバさえないのでコーヒー自分で入れて授業に持って行く、みたいな超低度消費社会に居た。自炊の為の食材ぐらいしか消費してないんだから。それでもなんの不満も無くむしろあー私こんなにシンプルな生活出来るんだ、となんとも等身大で気持ちのいい日々。

2年ぶりの帰国・・・既にどっぷり超高度消費社会の思惑にはまっている気がする。もともと一般的女子に比べると断然オシャレにかける投資は少ない。それでも帰ってきて3カ月でアメリカに居た2年分ぐらいの買い物は済ませた気がする・・・。東京の女の子たちが俄然カワイイこと、通勤するだけで素敵なお店が毎日目に入ること、人心掌握に長けた広告の数々・・・だから都会は嫌なのーっ。

フランスの社会学者ボードリヤールは「われわれはモノの時代に生きている。つまり、モノのリズムに合わせて、モノの絶えざる連続に従って生きているのだ。」と言った。東京での生活でいつも自分のペースがつかめないと感じていたのはまさに、モノのペースで生きてしまうからではないか。

私は10年かけて自分の消費スタイルを変えていかなきゃいけないと思っている。既製服にまつわる途上国の低賃金労働の現実や、大量生産・大量廃棄がどれだけ環境に負荷をかけているかを勉強してきたのだ。ちゃんと罪悪感無く自分の身の回りのモノの面倒をみることは私が自分に課すべき責任。

そんななかで最近注目なのはシェアリングエコノミー、コラボレーティブ・コンサンプションなど、所有からシェアへの価値観の転換。これまでの消費システムを根幹から揺るがすパラダイムシフトが起きつつあると言われている。本当か?

個人的にも興味があって色々と調べてきたけど自分自身何かこういった新しい動き、試したことは無かった。ということで、Swapping=物々交換サイトに参加してみたのです。いらなくなったものを捨てるのではなく、売って現金化するのでもなく、誰かが手放したいと思っているものと交換しよう、ということ。ゴミを出さないという意味でエコであり、大切にしてきたモノが人から人へ社会の中で循環していくというコレクティブな側面もある。

参加することで何か価値観の変化があるのでは、と期待をしてました。が、個人的には全く無かった。

気づき1:物々交換も限りない物欲を刺激する今までの消費システムと同じ

サイトの動向が気になっちゃってなんか交換しなきゃ、みたいな焦燥感も煽られたりして物欲は拡大傾向・・・。交換リストにシャネルのバッグとかずらーっと並んでいてげんなりしたり。ブランドものがたくさん出品されていることはサイトが継続的に運営されるためには非常に重要なのだろう。結局のところそういう商品に最も需要があるのだから。消費者はお堅いお説教を聞くこと無く今まで通りシャネルに有りつきながら実はエコが実現出来ている、みたいな。罪悪感や自己犠牲の感覚を味わうことなく、自己利益の追求の過程で知らず知らず行動が変容してしまう、というのが普通の人を大きなムーブメントに巻き込む秘訣なのだとも言われる。

ただ、社会を変えることは突き詰めると人々の世界観を変えることだと思う。世界観を変えずに行動変容を求めてもやはり根本的なシステム変革は起きないのではないだろうか。コーズリレーテッドマーケティング全盛の今、楽しくなければ一般の人の関心を引き、巻き込み、広がっていく大きな活動にはならないのだ!という主張はもちろん正しい。だけど、臭いものにふたをし過ぎて本質的な変化を阻害しているとしたら本末転倒だ。少しでも臭い物の存在に気づき、考える仕掛けがなきゃいけないのだろう。ヴィトンのバッグに目がくらむ前に一瞬立ち止まって自分の消費行動の社会や地球への影響について思いをめぐらすような仕掛けを。

気づき2.コレクティブ消費ではない

コレクティブ感なかったなー。交換する人とネット上での会話は多少あるものの、事務的。いらないものを淡々と処理する感じ。「海外ブランドもの以外は交換しません」なんて条件付けている人もいたりして無機質な等価交換のルールが出来ていたりもする。交換詐欺なんて悪質なものもあるんだって。極めつけは私のもとに届いた交換商品がボロボロだったこと・・・とても使えません、ってぐらい。処分しながらなんとも悲しい気持ちに。

再びボードリヤール。「消費者たる限りでは、人は再び孤立し、バラバラに細胞化し、せいぜいお互いに無関心な群衆となるだけである。・・・消費はまず個人的対話として演じられ、個人的満足や失望とともにこのような最小限の交換の中に姿を消してしまう。消費の対象はひとを孤立させる。」

Sharing Economyのキモであるシェアの要素はそこには無い。モノを得たことの満足や失望という個人的な一瞬の感情の動きがあってその後に何も残らないという意味で普通の消費となんら変わらない。

ひとまずサイトの方は脱退。来週はアメリカ式Clothing Swapのイベントに参加してみることにした。もともとSustainabilityの意識の高い美容院が主催だとか。素敵な出会いがあるといいな、と思っている。

消費行動を変える自分実験進行中・・・
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by nanacorico0706 | 2011-11-19 14:38 | つれづれ

力が欲しい、と彼は言った


企業とNPOのパートナーシップ、というテーマでここ最近何冊か本をさらって、考えたのはパワーバランスについて。

多くの本がNPOは企業の下請けになっちゃいかん、おカネをもらいに行っちゃいかん、イコールパートナーになるのだ!と説いていて、ああそりゃそうだな、と思った。が、そんなに簡単じゃーない。力関係というのは非常に難しく、だからこそ興味深い。

慈善事業にまつわる力関係はドナー>助成先が普通だ。従来型の無償の寄付に基づく慈善事業ではどうしてもNPOはおカネをくれる人の方を向いて仕事をしてしまいがち。説明責任、と言った時最終受益者よりもドナーに対することを指す場合が多い。Fundraisingに多大なリソースを割いて本来の使命である受益者への価値の提供が手薄になってしまうことだってあるのが現実。ある人は助成事業を担当していて助成先を見る目と、自分でプロジェクト作ってる時にパートナーのNPOを見る目が全く違う、と言っていた。助成、という構造がその仕組に関わる当事者の視点を既定し、その枠組みが当事者同士の関係性を決定してしまう。

投資もやっぱり投資家>投資先。だと私は思う。Impact Investingに代表されるような新たなソーシャルチェンジの為のおカネの出し方を考える時、既存の「投資」のスキームを使っちゃダメなんじゃないかとずっと思っていた。どうしても投資家と投資される側の力関係がアンバランスになり過ぎる。どうしても株主が王様になってしまう。そんな気がしている。ソーシャルベンチャーファンドでもどうやって投資先の事業をモニタリングするか?といった課題設定が普通に出てきちゃうくらい投資家が偉い、世界。投資、という枠組みが「する人」と「される人」の関係性を生みだし、常識がその関係性に求めるような役割を知らず知らずそれぞれの当事者が演じてしまう。

Cooperativeのようなおカネの出し手と受け手が一致しているような仕組みに強く惹かれていたのはこういうパワーバランスが限りなくフラットになるスキームではないかと思っていたから。だけど、そうも単純ではないのだろう。みんなで話し合って決めましょう、的な直接民主主義の仕組って実は最もむき出しのパワーが顕在するもの。声の大きな人の意見が通ってしまう世界に陥るリスクも高い。

と、こういったことをブレストしながらパワーバランス云々、と鼻息荒く語る私に上司が一声。「力の不均衡から自由な関係性なんてこの世にあるんだろうか?」

はい、無いと思います。助成先をパートナーと見て応援するか、助成してやってんだ、と上から目線になるかは突き詰めれば個々人の人間性の問題だ、とその上司は言った。20年助成事業に携わっている実感ヒシヒシ、大変説得力が有りました。でもやはりその個人も日々世界と接して絶えず変化を繰り返しているのであって、外界から発せられるシグナルが変われば人間の行動も変わると思うのです。

力の不均衡から自由な関係性なんてない、という上司の言っていたことは正しいと思う。そして、もうひとつ正しいのはこのパワーバランスは常に動態的だということ。だとすると、フラットな関係性を保つような資金循環の構造を考えるのではなく、関係性を固定化しがちな「構造」や「スキーム」や「制度」そのものを「作らない」ことがキモなのかもしれない。

制度化しちゃ、だめだと思う、とMITメディアラボ所長の伊藤さんがさらっと言っていてすごく刺さった。ソーシャルベンチャーについて質問に行った時のこと。

メディアラボでの研究資金はご飯食べながら雑談してるAさんとBさんが新しいアイディアを思いついて盛り上がって、たまたまお金持ちのAさんが、たまたまアイディアを実現する能力のあるBさんにポイっと出すぐらいの感覚がいい、とも語っていた。ご飯食べながら、と仰っていたのがポイントだと私は思うのだ。その空間はどこかしがない居酒屋とかがいいのだ。申請書とか役員会議室とか現場視察とか、そういう構造化・システム化されたものと対極にあるもの。まだ定義されていない関係性。そこに無限の可能性があるんだと思う。

だから、企業とNPOのパートナーシップを考えるのなら、どういう仕組がイコールパートナーシップを生むか?を問うてはいけないのかもしれない。伊藤さんが言ってた居酒屋状態を無数に創り出していくことが私たちの仕事だ。
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by nanacorico0706 | 2011-09-26 00:34 | つれづれ


2年間の米国留学生活をゆるゆると綴ります・・・
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