旅の途中



カテゴリ:おしごと( 6 )


政府とおしごと

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上半期で読んだ本の中でダントツだったのは新渡戸稲造の「代表的日本人」。
こんなシブい本読んでるからダメなんだな・・・と思いつつぐっときてしまったのだ、西郷隆盛に。笑。

文明とは正義の広く行われることである。

そうか。そういうことだよね。
ソーシャルイノベーションは社会の課題を解決するような新たなアイディアが広範囲にわたってスケールすることだとどこで誰かが定義していたけど、近い。

アメリカの大学院で国際開発の勉強をしていた時に、「政府の役割は?政治はどう変わるべき?」としきりに問う先生がいて、印象的だった。
私のいたプログラムは民間やコミュニティが中心になって社会を変えていく、というトーンが強かっただけに、政策や制度にあまり関心の無い人がほとんど。

私もそう。

卒業して3年。ここにきて政府の役割を深く考える仕事に携わっている。
「正義」が「広く」行われるようになるためには政府の役割はあまりにも大きい。
ソーシャルインパクトボンドやG8のインパクト投資タスクフォース。
民間のアイディアやノウハウ、資金がどう新たな社会システムのブロックを積み上げていくか、そのために政府が提供するリソースは?制度的枠組みは?インフラは?

4月以降ずっとこんな問いを色々な人とディスカッションしている。
人生でほぼ初めて足を踏み入れる霞が関と永田町のめくるめく世界にくらくらしつつ、また少し世界観が広がったのも確か。
色々な方に会うたびに「やっぱり行政の人って…」的な受け止め方をしてきたけど、最近「行政だから」ってことでもないのかもしれない、とも思う。

人だ。
中にはびっくりするぐらい主体性を持って動いている人もいるし、ビジョンを持っている人もいる。
受け身で現状維持志向で、組織のビジョンを一人称で語ろうとしない人は民間にだってたくさんいる。
うちの会社だって分からない。

正義が広く行われるようにすることに想いを持って取り組んでいる人に出会うことが何より大事。
そこまでいくにはとにかく旗を降ろさないこと。

「天を相手にせよ。人を相手にするな。すべてを天のためになせ。人をとがめず、ただ自分の誠の不足をかえりみよ」
くー。西郷どん、かっこいい。

頑張ろう。
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by nanacorico0706 | 2014-08-09 10:40 | おしごと

広告の終焉から始まるもの

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ここ最近で最も刺激を受けたのがクリエイターのレイ・イナモトがFast Companyに掲載したカンヌ広告祭の振り返り記事。
『広告の終焉』

仕事でにわかにプロモーション強化のプロジェクトが立ちあがって今まで全く縁の無かった広告のキーワードが引っかかっていたころに発見。
ワクワクするようなインサイトに溢れていた。

「New Worldでは、ブランドがオーディエンスとつながっているか、そしてオーディエンス同士のなかにつながりをつくれるかが重要になる。」

「ブランドの物語」ではなく「人々の物語」

「広告の世界では、長きにわたって、消費者に対して包括的に「360°」でメッセージを発信していく考え方が奨励されてきた。しかし新しいメディアが増え、消費者の行動もメディア接触も細分化されたいまとなっては、消費者を全方位から囲い込むというのは不可能であり、無駄が多過ぎる。アイデアのスケールが、媒体露出によって測られる時代は終わった。新時代における基準とは、永続性、志(こころざし)、そして社会に与えるインパクトである。」

「クリエイティヴィティとイノヴェイションとは、明らかな問題に「思いもよらない解決策」を見つけるか、または「思いもよらない問題」を見つけて明らかな解決策を提示することである。 クリエイティビヴィティは、よりよいビジネスアイデアやソリューションを見出すために使われるべきであって、いたずらに消費者のアテンションを引くために使うものではない。」

「キャンペーンもプロダクトも、人々が時間を割く価値がないものであれば、文字通り世界を汚染してしまう。近い将来、ポスト・デジタルの全モバイル時代が訪れたとき、360°インテグレーテッドキャンペーンと称したブランドストーリーをあらゆるメディアで展開しても、もはや何の効果もない。ブランドは、365日のコネクションを通じて、消費者が抱える本当の問題を解決し、自社ブランドのみならず人々や社会に貢献できるようなビジネスの開発を目指すべきである。」

広告やプロモーションと言うのは情報の受け手にある行動を起こしてもらう為にするもの。
購買であれ、寄付であれ。
だけどどうやら一方通行で行動を喚起するようなメッセージを発してももはやダメなのだ。

1.露出するだけのコミュニケーションではなく「繋がり」を感じさせること。
消費者同士、支援者同士を繋ぎコミュニティ化していくこと。
人々は今、想いを同じくする誰かと繋がること自体に価値を見出しているはず。
ブランドはその為の場を提供することが出来る。

例えば自宅で仲間とエクササイズ出来るNike キネクトは「繋がる」を軸にビジネスモデルそのものにイノベーション起こしている好例。
単なるスポーツメーカーの領域を超えて私たちの生活様式を変え、スポーツする人同士の新しいコミュニケーションのを生みだしている。


2.発信するメッセージ自体に価値があること
これだけ膨大な情報が溢れている社会では自分本位なPRは見向きもされない。
本当に価値が有り、人をhappyにしたりエンパワーするコンテンツでなければ。

Redbullの成層圏ダイブの映像が呼ぶような感動や、タイの禁煙を促す映像がもたらすドキッとするような気付き。


3.大きなコーズに取組むこと
広告が自分本位に購買を促すものではなく、もっと大きなコーズへのコミットを語る必要がある。

例えばユニリーバのReal Beauty Sketch
Doveの宣伝文句はなし、美しさって何だ?という美容品メーカーが向き合う普遍的な問いかけにフォーカスして感動を呼ぶ動画。

例えばアキュメンファンドのGenerosity Day
アキュメンのChief Innovation Officerがバレンタインデーを人に寛容になる一日”generosity day”と勝手に認定。
頼まれたこと全てにYes!と言うとかチップをはずんでみるとかチャリティに寄付をしてみるとか、個人で賛同した人の輪が大きくなって毎年twitterが盛り上がっている。
アキュメンの宣伝をしたわけでは全くない。
generosity=寛容さというアキュメンがコミットする大きなコーズを全面に出したことでむしろアキュメンのブランディングに貢献している。実際寄付も増えたとか。
自分たちの団体が成長すればいいのではない。
その先にあるもっと大きなビジョンに意味がある、という本質があるからこそ多くの人の共感を呼ぶということ。

広告の終焉。企業だけが危機感を持つ問題ではないはず。
人に伝え行動を起こしてもらうことの重要性という意味では非営利の組織も例外ではないのだ。
しかもレイ・イナモトが指摘している新しいベクトルはどれも非営利セクターに有利。
多くの人が繋がりを求め、価値ある情報を欲し、大きなコーズに共感する今こそ、NonProfitにとってのチャンスなのだ。
この業界はクリエイティブの力を軽視し過ぎているし、まだまだ勉強不足だと思う。
良いケースから盗みに盗んで色んな実験を仕掛けていきたい。
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by nanacorico0706 | 2013-10-06 15:56 | おしごと

寄付と遊びの関係


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日本で寄付文化を醸成する、という壮大なミッションを投げかけられている。

日本のトップクリエイターと呼ばれるような人でも頭を抱えるわけで、彼が先日ブレストの席で「やはり恐怖訴求しかないだろうな・・・それが一番リアルだから」とぽつりとつぶやいた。のにはがっかりした。
大きな目から一粒の涙がこぼれ落ちるアフリカの子供の写真でしか日本の寄付文化は育たないのだろうか。
憐みや恐怖や悲しみや同情でしか人間は寄付をしないのだろうか。
だとすると、社会を動かす動力としての寄付がますます必要とされているこれからの世界は憐みや恐怖や悲しみや同情の感情で埋め尽くされてしまう。
そんなのは嫌だ。

寄付は遊びであり、快楽であり、未来の自己資産である。
そう考えられないだろうか。
そうでなければ続かない。
憐れみを原動力にして動く社会なんて嫌だ。

広井良典さんの『創造的福祉社会』に希望を見出した。
チンパンジーやゴリラなど原始人類に見られる食糧の「分配行動」は飢えた人々を生き残らせる為に行われたのではなく、食糧を分配することが仲間同士の親睦を深め、より自由度の高い社会交渉を発現させ、多様な協力体制を作り上げる役割を果たしたから、らしい。
どうも類人猿にとって分配行動は遊びと似た性格を持ち、感情の「快」の部分を刺激していた、らしい。
恵まれない境遇に置かれた他人の為に寄付をするということが倫理や道徳でも、社会規範でもなく、遊びであり、楽しみであり、快いことだと言う感覚。
これが実はもともと人間にインストールされているのではないか、ということ。

私はここに大いに期待したい。
慈善もチャリティも、もっとポップに楽しく訴求したらいいのではないか。
世界の貧困の現状や原因不明の病気や障害を持つ子供の実情をより多くの方に知って頂くことももちろん重要だ。
でも、ひたすらその苦しい現実を伝えることが人々のサポートを引き出すことに繋がるわけではない。
寄付すること、与えること、が遊びであり、自分を取り巻く社会環境をより豊かにする為の快い行為だと思ってもらえないか。
手放す少しのおカネが巡り巡っていつか自分や自分のこどもに帰って来るんだと言うことを感じてもらえないか。
そんな仕掛け作りが出来ないだろうか。

ゲーム、ネットアイドル、ファッション、アニメ、ニコ動。
タブーも気にせず、色々チャレンジしたい。
これは、NPOの活動資金を増やす、とかそういう業界特有の問題ではないのだ。
これからの日本を考える上で私たちにどうしても必要とされている価値の転換についての話なのだと思う。
近い将来必ず税金では社会を支え切れなくなるのだから。

写真は今年のカンヌを総なめにしたDAMB WAYS TO DIEというソーシャルマーケティングのキャンペーン
恐怖訴求ではなくコミカルなストーリーで鉄道事故の減少に貢献した。
こういう仕事が楽しい寄付体験を生みだす為にも求められているのだと思う。
ああ、私たちの提案ではまだトップクリエイター達を説得出来ていない・・・・
類人猿の時代から続く遊びと快楽の力を信じたい。
寄付はもっともっと楽しくてかっこよくなれる。
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by nanacorico0706 | 2013-09-01 23:37 | おしごと

SOCAPデビュー

a0158818_912189.pngSOCAPというカンファレンスの存在を知ったのはアメリカ留学一年目の2009年だったと思う。
ソーシャルキャピタルマーケット、の略でSOCAP。
世界をより良くするための資本市場を創りだそうとする人たちが集まるマニアックなカンファレンス。

2010年のJP Morganのレポートを機にImpact Investmentという言葉が一気にその認知度を上げて以降は、ソーシャルな分野に関心のある機関投資家や元インベストメントバンカーたちの集まり、という様相を呈していた。
すっごく行きたいような、行ったら行ったで疎外感たっぷりでうんざりするだろうことを想像すると絶対行きたくないような、そんな気持ちで遠くから眺めているカンファレンスだった。

今年、満を持して行ってきた。
行きたいけど行ったらがっかりしそう、という相変わらずの揺れる乙女心のまま降り立ったサンフランシスコ。
結論としては、本当に来て良かった。
何が良かったかって、SOCAP自体から揺れる乙女心を感じ取れたからだ。

おカネの流れをもっと社会に良い方向に変えて行く、ということをテーマに活動する人には大きく2つのルーツがあると思っている。

一つはここ数年で一気にこのセクターに流入してきたウォールストリート育ちのメインストリームの投資家達。JPモルガンやゴールドマンサックス、ドイツ銀行、シティ銀行、などなど社会的インパクトを出しつつマーケットレベルの経済的リターンも求めようとしている投資家達。ロックフェラーやフォード財団、Omidyar Networkなどの大手財団もこういったメインストリームの投資家に思想や関係性としては近い。
こっちの文脈で言うと今回のカンファレンスで面白かった例はソーシャルインパクトボンドという「ソーシャルインパンクト」の大きさに経済的リターンが比例する債券。こういった洗練された金融ツールを使ってどうやって「規模」を追求したり、既存の金融システムに統合していくか、というのが一大テーマ。

もう一方のルーツはもっと筋金入りで歴史が長い。60~70年代の社会運動に根っこを持つ、社会主義的でヒッピー的なローカルバンクやNPOたち。メガバンクなどのメインストリームの金融システムに対抗して地域に根差したおカネの流れを追求してきたひとたち。
こちらは例えばIPOならぬDPO(Direct Public Offering)といってビジネスの所在する地域で少額の株券を発行して不特定多数から資金調達をする方法を実験していたり、いかに既存の金融システムに頼らず一般市民の力でリソースを動員するか、と言うところに心を割いている。

Impact Investmentというと前者のメインストリーム投資家しか想定しない場合が多いけど、今回のSOCAPでは主催者が意識的に呼んだとしか思えないくらい後者の立場の人がきちんとスピーカーとして招かれていた。びっくりした。例えば初日のキーノートで登壇したDemocracy Collaborativeの創設者は共同組合についてがっつり紹介していたし、RSF Social Finance BALLE Criterion Venturesのようにコミュニティビジネスやローカルバンクにこだわってきたプレーヤーもキーノートに登場、セッションもメインで持っていた。彼ら自身も「私たちはSOCAPのstep child(腹違いの子)だから」と冗談を言っていたぐらいちょっと場違い、と感じていたのだろう。それぐらい、歴史的背景をみれば異色の2つの流れ。だけど大きな意味でのテーマは確かに似ている。ここに交わる意義があるはずだ。

「社会を良くするための投資がアセットクラスになる、とかいう話を聞いたけどちゃんちゃらおかしいわ」と痛烈にImpact Investorたちを皮肉るパネリスト。会場は称賛と笑いと拍手を送る人たちもいれば、しれっと(もしくはむすっと)聞き流す、みたいな人もいて、明らかに同床異夢なこの空間。ポール・ポラックが「Impact Investmentは利益とインパクトを混乱している」と書かれたスライドをでーんと出して苦笑の渦を起こしていたり。
この対立軸とか矛盾とかまだコンセンサスの成立していない状況をちゃんとおおっぴらにしているところに主催者側の器の大きさを感じる。
ねちねち体育館裏に呼び出したり、排他的なサークル化をしないで表通りで対立する西海岸らしいオープンさも感じる。

Impact Investment万歳!みたいな、鼻息の荒い投資家ばかりが集まる場なのではないか、と思っていたけどそんなに同質性の高い場でもなかった。ほっとした。
揺れる乙女心を抱えていたのは私だけではなく、いわば業界全体なのだろう。
ある女性が語っていた。社会を良くするための新しい投資の流れのもっと深いところにあるパワーダイナミクスについてもっと語られなければならない、と。このムーブメントが本当にパワーダイナミクスを変えるのか、ということ。新しい投資といっておきながらテーブルが変わっただけで周りを見渡すとまた同じ顔ぶれだった、なんてことがないだろうか、と。
これは非常に重要な問いかけだと思う。
社会が本当に変わるということは関係性が覆ること、既存のパワーダイナミクスがひっくり返されること。Impact Investingに本当にその変化を起こすポテンシャルがあるだろうか?メインストリームの投資家がますます声を大きくする中で、この問いかけは背筋が寒くなるぐらい重要なのだ。

少なくともあの場所で、その問いかけがオープンに投げかけられ大きな拍手を受けていたことに力づけられた。
ルーツの違う2つの流れがお互いから学び合い、本気でこれからのおカネの在り方を一緒に創ることができたらすごい。
多様性の高いものが最後は勝つ(またJOIさんの言葉。。。)。そういう意味ではこのカリフォルニアベイエリアが何かと「世界一」と言われて世界中から優秀な人材やリソースを引きつけているのも多様性あってこそ。
ベイエリアの求心力についてはまた後日・・・

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by nanacorico0706 | 2012-10-25 08:58 | おしごと

CSR担当になりました

12月1日からCSR企画推進チーム、というところで企業の社会貢献活動の企画提案を担当することになりました。

思えば昨年の今頃、大学院卒業後の進路を探り始めていた私。ビジネスとソーシャルどちらにも足を突っ込める立ち位置、というテーマでImpact Investingファンドやスタートアップの社会企業、国際機関のBOP担当、などの選択肢を見ながら、「CSRだけはナシだな」と思っていた。

企業の株価を上げるための「社会貢献活動」を担当するなんて絶対無理、というのがその理由。実際そんなに露骨じゃないし、本当に素晴らしい活動をしているところもたくさんある。とはいえ、やはり株主利益という神棚に足を向けられない構造の中で仕事をする息苦しさは想像するだけで自分には無理だな、という気がしていた。

一年後、まさかCSR企画推進チーム、というドンピシャな部に身を置くことになるとは思ってもみませんでした・・・(このチーム自体が10月に新設されたばかり)。が、けっこうワクワクしているし、この仕事に可能性も感じている今日この頃。

企業のCSR担当ではなく、財団というNPOの応援団みたいな立場からCSRを考え、そこに働きかけていくというのは面白いアプローチかな、と。ある社会課題を解決する為に一緒に出来ることって何でしょうか?御社のリソースを使えばこんなこと出来ちゃう気がするのですがどうでしょうか?そうやって社会課題と企業の接点を提示するところが最も重要な役割なのだ。

「ビジネスを通じて社会課題を解決する」、というのももちろん大事。それが企業とのパートナーシップの旗印でもある。だけど、個人的には「社会課題と向き合うことでビジネスが変わっていく」、というのがもっと大事、だと思っている。企業とのパートナーシップはCSR資金を活用する為だけにやるのではない。協働を通して企業側の意識や戦略やビジネスモデルに変化を起こすことに長期的な意義がある。

そういう意味では、先日財団でやったCSR Meetupでの気づきは大きかった。ワールドカフェ形式でのディスカッションを通して多く投げかけられた「誰の為のCSRか?」「誰にむけて発信するのか?」株主、社員、顧客、取引先、地域コミュニティ・・・財団で取り組むCSRの領域は最後のステークホルダー、地域コミュニティが中心。だけど、実は「社員が変わるCSR」ってすごく大事なのではないかと思った。CSR活動を通じて、社員一人一人が自分の働く会社と社会課題との接点を知るようになると、そこからじわじわ広がるインパクトは大きい。

結局社会が変わるということは制度やシステムの変革ではなく、一人ひとりの人間の世界観が変わることであると思う。

CSR Meetupでお話してくれた楽天高橋さんのメッセージ。「CSR活動はCSR担当者のものではない。社員全員のもの。」今年のCSR大賞を受賞したヤマトホールディングスさんは震災発生後すぐに東北の現場にいたドライバーさん達一人ひとりが自主判断で救援物資の運搬を始めたのだとか。

CSRという言葉や概念を知ってるかどうか、なんてどうでもいいことで、自分の仕事と社会の接点を肌感覚として分かっているか、なのだと思う。毎月頂くお給料以上の何かの為に自分は仕事をしている、という美学みたいなものが無意識の中にあるかどうかなのだと思う。

CSR担当として、一人でも多くの企業人の方に社会課題とビジネスの接点を見出して頂けるよう頑張ります。ビジネスが社会を変えていく時代から、社会課題が企業を、ビジネスを、資本主義のシステムを変えていく時代に。
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by nanacorico0706 | 2011-12-11 11:46 | おしごと

就職しました


ご報告。

8月1日より日本財団で働いています。
まだもやっっとしてますが企業とNPOの連携、CSR、寄付事業なんかをやってる部署です。
ハードルの高さや色々現実見え隠れしつつそれも全部ひっくるめてわくわくしています。上ってみたい山が見えてきたような。

難しいこととか共感出来ないこととかあっても、それが自分が精神的にコミットできてる課題だとアツクなれるのがいい。「なんか違うと思うけどまあいいや最終的には私の知ったこっちゃないし」、というメンタリティで仕事をするのはやはり悲しい。社会のためにならん!と堂々と青臭い怒りをぶつけられる様な場所に身をおけることはやはり大事なのだ。。

尊敬する叔父から頂いた就職祝いには「心頭滅却、何事にも変えがたく職を修める」とのメッセージが添えられていた。まずは愛情こめて仕事をしよう。組織に根を張らず社会に根を張れるように、好奇心をもってアンテナを立て続ける。

行ってきます。
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by nanacorico0706 | 2011-08-11 22:09 | おしごと


2年間の米国留学生活をゆるゆると綴ります・・・
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