旅の途中



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石巻ボランティア

3月11日、映画のワンシーンのような津波が街を飲みこむ映像を前にただ呆然とすることしか出来なかった。私はアメリカにいて、東京にいた人が体験していたような非常事態も共有出来なかったことに漠とした罪悪感を抱きながら、毎日日本からの情報に涙することしか出来なかった。あまりにも悲しい現実に触れた涙と、そこに垣間見えた人間の強さや偉大さ、そういったものに対する涙。

あの日から数週間、被災した人の悲しみに心を重ねて、日本中が「何か私に出来ることはないか?」と問うたのではないだろうか。すぐにでも現地に飛び込んで何かしたい、というたくさんの人の想いに対し、阪神大震災の教訓もあって、「素人の人は機が来るまで待ちましょうね、今は医療関係者や自衛隊の方に頑張ってもらう時期です」、といった賢明なメッセージが寄せられていた。私も、「今は何も出来ないけど、機が来たら、必ずなんらかの形でお手伝いをしよう」、とその時決めたのだ。

4カ月経って帰国。東京の様子はすっかり日常を取り戻している。原発の問題や復興の様子が報道されることはあってもあの時のように日本中が被災地に想いを届けているような切迫感は無い。当たり前だけど、だんだんと関心は薄れていくもの。私だってそう。震災直後に大学で募金活動を始めた時の熱量はもう無い。

それでも、現地にボランティアに行こう、と決めたのは、自分との約束を守ろう、という一心だったと思う。恥ずかしいことかもしれないけど、行くぞ!という強い想いに従ったというよりは被災地のことを忘れかけていく自分に鞭を振りたかった。あんなに現地に行きたいと思っていた気持ちを失くしかけている自分がイヤだった。行きたい、というよりは行くって決めたのだから行くのだ、という決意だったと思う。弱い自分だ。

3日間、宮城県の石巻で民家の床下のへどろをひたすら掻き出す、という作業。たったの3日だったけれど、行って良かったと心から思う。「本当に助かります」と言って下さった、それだけだ。無口なおじいちゃんが作業を終えて最後にボランティア一人一人に握手を求めてお礼を言ってくれた、その握った手の感触、それだけ。それだけで、本当に行って良かったと思う。5人、10人が一日かがりで一軒、といった小さな歩みだけど、私のような素人の出番が今、来ているのだと感じる。

たったの3日間の滞在で、数人の方と少しお話をしただけではどのように受け止められているかを声高に語ることが憚られる。ただ、たくさんの方が現地に行くことに意義があるとすれば、行った人たちが現地のことを「忘れない」ということじゃないだろうか。「忘れないこと」というのは震災直後ブログやTwitterで繰り返し語られていたことだと思う。私たち被災していない者に出来る最大の支援は忘れないことです、というメッセージ。あの日のことを自分のこととして考え続けることが寄付とかボランティアとか小さな行動に繋がるし、関心が集まり続けていることが国としての復興活動にも影響する。一人一人が思い続け、気持ちを送り続けるという静かな波が現地の復興を支えていく大きなうねりに重なっていくのだと思う。

短い間でも現地にボランティアに行くということ、物理的にそこに身を置いたということ、テレビの映像ではなく、生身の人間と対峙したということ、彼らの笑顔、握手した感触、そういう感覚は強烈だ。物理的にそこに居た、という事実は当事者意識を生む。「知る」ことではなく「感じる」ことのインパクトは大きい。それが忘れないこと、に繋がるのではないかと思う。

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こういう特別な経験をすると人間は「何を学んだか」ということを整理しようとしたりするもの。修学旅行の感想文とか昔はすごくうまかった気がするのだけど、最近めっきりダメだ。こうも思う、こうかもしれない、と思いを巡らす帰りのバスで、どれも誰かが言っていたことの受け売りにしか感じられなかった。結局、誰かに伝えたくなるようなもっともらしい学びには至らず。でも仕方がない。これが私のスピードだし、このモヤモヤが正直なところなのだ。分かった気になるよりは考え続けたほうがいい。抒情はいつも遅れてくる客観視の中にある。

結局最後に至った想いが「忘れないこと」だった。正確に言えば、人間は忘れる生き物だから、私はすぐに忘れる弱い人間だから、忘れない、と心に決めることだ。「妻と2歳の孫と三人で仮設住宅におります」と言ったおじいちゃんに2歳の赤ちゃんの両親はどうしたのかを聞けなかった、あの時のあのおじいちゃんの表情を、握った手の強さや差し入れしてくれたアイスの味やそういう記憶をちゃんと刻み込んで、関わった者としての責任を感じること。勝手に責任を取ろうと努力すること。どんなに小さな行動でもそれを自分の責任として軽やかに背負って歩けるように。無力な私に出来ること。今日も想っています。
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by nanacorico0706 | 2011-07-27 23:51 | つれづれ

29


誕生日から既に3週間が経過しましたが、20代最後の歳を迎えて、抱負。

愛すること。照。

いや、恋愛とかそういうことではなく(そっちも頑張らなきゃいけないけど)、お世話になっている人、友人、家族、自分自身、隣のおばちゃん、コンビニの店員さん、まだ会ったことのないたくさんの人を愛するということ。それから、仕事、家事、駅までの道、満員電車、寝苦しい熱帯夜も愛するということ。

ある人がある本で「理性の愛」というものを語っていた。感情ではついていかなくても人間としてやるべきことなら理性によって愛し続けることが必要、と。

愛情って「情」がつくぐらいだしもっとほわんとしてあったかい、自然発生的なものというイメージがあったのだけど、愛って実は決意や覚悟に近いのじゃないかと最近思っている。自然に発する愛情が先にあったとせよ、それを持続する為には愛し続ける、という決意と継続する忍耐力や強さが必要なのだと。

だから、好きだなーとか嫌いだなーとか感じることに身を任せるのではなく、愛することに努める人間でありたい。理解できない、と閉じずに、理解してみよう、と努める。今日会う人に何か私が出来ることはなかったか、と意識してその人と向き合いたい。今日接した全ての人に自分が笑顔で、真摯に、誠実に接していたかを問いたい。

あっちに行くかこっちに行くか、進路の相談に行った時ある教授が「どちらの道を選んでも最終的にはその決断を正しいものにするまで努力し続ければいいのよ。」と言ってくれた。どんな仕事どんな雑事も本当に愛情をもって取組まない限り本質に辿りつけないと思う。その愛情は「好き!」みたいなふわっとした感情ではなく、愛情をもってやるんだという決意であり、覚悟であり、信念であると思う。

20代、自分の好きなことをやって色んなところをフラフラしてきた気がする。東南アジアの田舎を旅したり、商社で飲んだくれたり、金融資本主義の権化みたいな世界で仕事したり、留学したり、NGOで働いてみたり。ある意味、「好き!」「嫌い!」に素直に反応して行動した20代だったのだと思う。親戚には「七ちゃんは糸の切れた凧状態だからね~」と言われてグサリときたこともあった。

30代は糸をつなげたいと思う。糸の切れた凧として経験してきたたくさんのコトをどうにか地上に結び付けたい。その為には、愛することが必要なのではないかと思うのだ。自分の感情に素直になるだけではなく、他人の感情にもっと耳を澄ませたい。何がしたいかだけでなく、私にどんな貢献が出来るかを考えたい。あと1年、どんな場所にどんな具合で凧が着地するか・・・自分でも楽しみな誕生日なのでした。

愛の無い行動をとっていたらどうか注意して下さいね。よし、頑張る。
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by nanacorico0706 | 2011-07-25 14:23 | つれづれ


2年間の米国留学生活をゆるゆると綴ります・・・
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