旅の途中



物乞いの人にお金をあげますか?


カンボジアの地を初めて踏んだ20歳の私が自分に問いかけたこの質問は28歳になってもまだ私を困惑させる。

この夏パキスタンでインターンをしていた時に物乞いのおじいちゃんにお金をあげようとした私をインドから来ていた別のインターン生、メイダが激しく抗議した。「Acumen Fundの方針はCharity じゃなくてChanceを、でしょ!罪悪感を和らげる為だけに一時しのぎの寄付なんてやめた方がいい。」と。

カンボジアでは最初、お金をあげられなかった。物乞いの人を上から見下ろしてお札をふい、と渡す行為にどうにも嫌悪感があったのだ。彼らが集めたお金を地元の悪い人たちに巻き上げられているだけ、というケースが有ることも知っていよいよやりにくくなった。

変化は2回目に行った時にカンボジアでお世話になったバイタク運転手サンとの出会い。御寺に行った時に参道に座る物乞いの人たちに一人、一人なんとも自然にお金を渡していたサンを見て、私も続いてみた。初めてまっすぐに物乞いのおばあちゃんの目を見ることができた。それまでは後ろめたくて見ないふりをしていた彼らの顔を、表情を、お礼を言いながら合わせるしわしわの手を見た。すーっと嫌悪感が消える感覚があったのだ。たったの一瞬でも彼らと向き合って少しのお金を通して触れあうことに悪いことなんかないんじゃないかと。

これ、メイダが言った「罪悪感を和らげる」心理だったのかなーと、パキスタンでの一件で一度片付いたはずのこの疑問がまたフツフツと湧いてくる。

ある人の言葉。“no good has ever come from feeling of guilty... The guilty do not pay attention to the object but only to themselves… to their anxieties.”

罪悪感を感じると人は問題そのものに光をあてることはせず、不安な気持ちに捉われるだけ。

根源的な問いは「あげるかあげないか」ではないのだろう。あげた人とあげる自分との関係を切り離すかどうかだと思う。罪悪感に捉われて関係のないものとして忘れ去るか、見つめた目やしわしわの手を忘れないかどうかだと思う。どうしてそうなってるのか考え続けることだと思う。私はお金を渡したおばあちゃんの手も、見ないふりをして通り過ぎたおばあちゃんの手も鮮明に覚えている。パキスタンで車からふんだくるようにお金を取って目も合わせずに立ち去った赤ちゃんを抱いた女性の表情も、お金の代わりに指人形をあげたらすごく喜んでいた子供の表情も、忘れない。

困惑した気持ちに縛られて身動きが出来ないなんてことがないように、ずっとこの問いと向き合っていくことが私に出来る唯一のことだと思う。

寄付ではなく社会投資、という開発業界に起こっている最近の大きな変化についても同じ。お金の集め方や回し方、みたいなテクニカルな問題は本質的ではなくて、その変化によってもたらされるあげる人ともらう人の間の関係性が重要なのだと思う。そこには政治があり、力関係があり、哲学があり、思想がある。切り離して忘れ去ることのない、しわしわの手から目を逸らさない、そういう社会投資のカタチを考えて行きたい。

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指人形に興味津津のパキスタンの子供たち
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# by nanacorico0706 | 2010-10-25 12:40

日本人の根っこ


スリランカ人の教授が海外で暮らすと自国のアイデンティティが再生産される、と言っていたことがある。

海外に来て初めて日本の良さが分かった、とか、自分の中にある日本人的なものに気付いた、とか以上に、自分の外に有る『日本人的』とされるものを内部化していく傾向がある気がする。そういう意味で『再生産』という言葉がしっくりくる。

あなたはどう考えますか?という質問より圧倒的に「日本人は一般的にどう考えますかね?」という質問をされることが多くなる。とたんに一人称を超えて一般化することを迫られるのでなにやら文化とか歴史とか、あとなぜか武士道とかそういうところに話が行ってしまったりする。そうですねー日本ではたいていこんな感じです、と語るうちに「こんな感じ」がまるで自分の内部から発した価値観のように自分の中に戻ってきて刷り込まれるんじゃないかと思う。

とはいえ、日本ではどうですか?の質問はアメリカに関して言うとそんなに聞かれるものでもないかもしれない。私みたいに国際開発の学部にいると基本的にみんな異文化に興味津津だが、ビジネススクールの学生や企業勤めしている人なんてあまり聞かれないだろう。

NYの企業で働いていたパキスタン人の友人は全く信心深くもないのに同僚がドーナツをほおばる傍らで一人孤独にラマダンの断食を実行していたらしい。自国に戻ったらとたんにやる気がしなくなった、と。外に放り出されると自分のアイデンティティを確認したくなるもんだ、と彼は言った。異質な世界に放り込まれた時に倒れないで立っていられるように自分の根っこを明らかにすることを迫られるのかもしれない。必ずしも「根っこ、こうなってたのね」、と確認するのではなく、根っこを再生産するのではないか。

別のパキスタン人はアメリカではその人の出自ではなく、その人が何が出来るのかでその人の本質を判断される、と言っていた。コネや御家柄がモノを言うパキスタンはそりゃー生き難いだろうけど、そういう根っこを引き抜かれるとそれはそれで私って誰?的な危機感を覚えるのかもしれない。海外に出ると自国の文化や慣習を再生産する。きっとそうでもしないとカクテルパーティーで一人黒髪アジアンだったりする時のどうしようもない疎外感と戦えないのだ。

タジキスタンでリサーチをした同級生はロシアへの出稼ぎ労働者からの仕送りが古来から続く親戚一同を招いた大宴会に使われることが多く、送金が増えるにつれてこの宴会の豪勢さがどんどんエスカレートしていると言っていた。近代化によって当然想定される核家族化や伝統的なおもてなし合いの消滅は起こらず、むしろその伝統を強める傾向さえある。

グローバリゼーションによって世界中の文化や生活様式がブルドーザー式に西洋化していく、という使い古されたイメージは違うのだろうな、と最近つくづく思う。確かに世界中どこでもコカコーラで、ディズニーで、ナイキで、グーグルだけれど、意外とこういう均一化って表面的なものではないだろうか?ヒト・モノ・おカネの移動、でいうとヒトに関してだけは実は移動によって余計に文化の異質性を保持しようという力が働くのではないかとさえ思う。

私はどうか?そろそろ進路を考えなきゃいけない時期だ。大学生の時は派遣先のアフリカで骨を埋めてもいい、と思っていたけど、今はもう死ぬなら日本だ、と思う。年をとったのかしら?というのは置いておいて、やはりこの国で暮らして自分は日本人だという当然の事実を「たたきつけられた」という感じ。スラムの奥まで入っていっても現地の言葉も文化も世界観も共有していない私が偉そうに言えることなんて究極的には無い。日本から来ました、突然すみません、お邪魔いたします。と挨拶するしかないのだ。どこにも根を張らないノマドみたいな生き方をするのではないかと自分の将来を想像していたけど、どうやら違う。物理的にはノマドだとしても逃れられない根っこがあるのだと分かった。この根っことどうやって付き合っていくか。

進路考えなきゃ・・・
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# by nanacorico0706 | 2010-10-11 00:28

マルクスに恋をする


あっという間に9月終わってしまった・・・。アメリカに戻ってきて早1か月。今学期は超ヘビー級の授業を取ってしまい四苦八苦中。『経済地理学』なるもの。

現代の経済学の礎を築いてきた人たちの原文を読む、というとてつもない授業でアダムスミス、リカード、マルサス、マーシャル、マルクス、ハイエク、ケインズと辿ってきた。生徒たったの7人で私意外全員博士課程に所属、私、完全に場違い。

100年も前の英文を週に500ページ読むというのはもう半端ない。でもめちゃくちゃ面白いのだ。資本主義ってなんだろう、ということについて考え続けている。

マルクスがすごかった。マルクス主義というとどうにも現実離れしてて感情的で熱くって・・・というイメージがあったのだが実際はイデオロギーとしてではなく理論としてパワフルだった。ほんの一部しか読んでいないけど、今となってはだれも疑うことのない現代の経済システムの本質をえぐる、私の商社時代もえぐる・・・

社会人になった瞬間、売上からコストと経費引いたら利益ね、というのが常識の世界に放り出されて、それがこの世の中のルール、ということを疑いもせずにきたけれど、歴史をたどって、このルールってそもそもどうやって決められたのか?を見に行くというのは非常に興味深いタイムトリップ。

読みながらロンドンの不動産市場で投資家の間でお金がお金を生んでいくシステムに「なんでこうなってんだ?」と不気味な想いを抱いていたのを思い出す。そのシステムから飛び出してこうして外から眺めるというのはすごく貴重な機会だ。

世界的な経済格差が毎年記録更新していて、持続可能性を真剣に考えなきゃヤバイ、という時代。Outside Boxで考える、ということはさかんに言われているけど資本主義というBoxから飛び出そうとしたのはマルクスだったのだと。学生というなんの縛りもない世界に身を置けるのも後1年足らず。この授業に食らいついてまずはこの箱の本質を自分なりに理解したい。頑張ります。
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# by nanacorico0706 | 2010-10-02 12:30 | 勉強

BOPとTOP


パキスタンに来て、日本出身です、というと良くされる質問の一つが「この国の貧困の状況に驚いたんじゃない?」というもの。
実際には、私が最も驚いたのはむしろこの国のお金持ちのお金持ちっぷりだ。

パキスタンのスーパーリッチは宮殿か!ってぐらいの巨大な家に住んでいる。玄関入ると吹き抜け&らせん階段、なんてザラ。メイド2人、コック2人、車3台、ドライバー3人、AK47を持ったガードが2人・・・。こんな家が1軒2軒ではない。カラチやラホールに延々と並んでいる。延々と。一体どうなってるんだろう?てゆーか誰なんだ?ここがアメリカ西海岸ならなんとなくわかる。ヘッジファンドのトレーダーとかこういうとこ住んでそうよね~とか、シリコンバレーで成功したITベンチャーの社長さんかしら~とか、ハリウッドの映画関係者だったりして~とか。でもここはパキスタン。そんな巨万の富を気付くような機会がごろごろ転がっているわけはないだろう。一体だれだ?なんでこんなに金持ちなんだ?

今更驚くことでもないのかもしれないが途上国における貧富の差は想像を絶する。数メートルごとに物乞いに遭遇するこの国で、お城のような豪邸で調度品に囲まれてメイドの運んだワインを楽しむ人が居る。そんなこと文明が興って以来の万国共通の状況かもしれないが、やはり気持ちが悪すぎる。それに、外資をどんどん誘致して経済成長の空気に溢れていたタイやベトナムなどの東南アジアに比べるとこの国にはミドルクラスが膨らんでいるという勢いがあまり感じられない。

なぜだろう?といろんな人に聞いてみると、一つ大きな要素として浮かび上がってくるのは、この国に今なお色濃く残る階級社会、封建制度。都市部に豪邸を構えるスーパーリッチの原点は植民地時代からの大地主。地方に大規模な農場を持っていたり、はたまた代々の政治家だったりする。

例えば、カラチの位置するシンド州では80%の農民が土地無し農民、いわゆる小作農だ。地主と契約を結び作物を分け合うShare croppingという形態で働いている。雇われる側の貧しい農民は不利な契約条件を飲まざるを得ないことも多く、貧困から抜け出せない。小作農家の生産高のうち、地主の取り分は上限40%と法律で決められているが守られているケースは稀だという。特に80年代以降、トラクターなどの導入により農業の機械化が進むと、余剰の労働力となった小作農は一方的に土地を追われ、大量に都市に流れ込む。都市部には増加する人口を吸収するだけの雇用機会はなく、結果として多くの人々がスラムなどの過酷な居住環境で生活することとなる。

そんなパキスタンでも政府主導の土地改革が独立後2度に亘って行われている。所有出来る土地の面積に上限を設け、超過する分を政府が安価で買い上げるという典型的なもの。が、買い上げられた土地は申告されたうちの30%程度にしか満たなかった。そもそも申告されていない土地が大量にあると言われている。この辺りは汚職が日常茶飯事のパキスタンでは容易に想像がつく。

因みに日本では戦後GHQの力を借りて大規模な農地改革が行われたのは周知のこと。政府が買い上げた大地主の土地はかなり安価で小作農に売り渡された。自作農の割合が50%程度から90%程度まで増加したというから大成功だったのだろう。実は戦前から政府は農地改革を試みていたが大地主の反対にあってドラスティックな改革には至らなかったらしい。敗戦、GHQによる占領、という歴史上の一大事が有って初めて実現した改革。あるひとの言葉、「通常土地改革の実現には数々の深刻な反対、障害が現れて、容易に実行できるものではない。とてつもないエネルギーを必要とする。社会の基本のカタチを変える“革命”のようなものと考えたほうがよい。」納得。

社会の基本のカタチを変える=革命。と配置されているのが面白い。説得力があると思う。パキスタンに来て2カ月、貧しい人に寄り添って彼らの生活を少しでも良くしようと一生懸命働く人はたくさんいる。だけど、これでは社会の構造に根本的な変化を与えることにはならないんじゃないか?BOP層をターゲットに、安価な住宅を提供する。スラムでの生活に比べれば衛生環境も居住環境も大幅に改善する。住人は健康になり、生産性が上がって所得も少し改善するかもしれない。だけど、結局はBOPの人をLower-middleに押し上げているだけに過ぎないのではないか?ほんの少しピラミッドの底辺が上がったその間に、ピラミッドの頂点は1ミリも動かない。もしくはさらに頂点を釣り上げているかもしれない。

貧困の原因はリソースの不足ではなく、リソースを分配するシステムの欠如である、という言葉を思い出す。貧困をなくそうとするとき、私たちはいつも「彼らはなぜ貧しいのか?」と問う。でも私がパキスタンで感じた疑問はむしろ、「彼らはなぜこんなに裕福なのか?」だった。BOPをピラミッドの上流へ押し上げるだけが貧困削減ではない。ピラミッドのトップに切り込んでやるべきことはたくさんあるのではないか。
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# by nanacorico0706 | 2010-08-03 21:39 | パキスタン

Thanks Brunch


ラホール滞在も残すところ1週間。今日はお世話になったホストファミリー2家族を招待してブランチを。
最初の2週間泊めて頂いたご家族はムスリム。今お世話になっているご家族はクリスチャン。
宗教の違いなんて全く問題にならないような人たちだって最初から分かってはいたけど、それでもやはり面識のないご家族を引き合わせるのはすこーし不安もあったりした。個人的には。
結果、本当に穏やかで、温かで、楽しいブランチになった。ホストマザーどうし、ホストファザーどうし、本当に楽しそうに談笑しているのを見て一人涙が出そうになっていた。

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一つは、パキスタンに来てから宗教と言うものを今までになく深く深く考えさせられていたからだと思う。特に今のご家族と生活するようになって、キリスト教があからさまにテロのターゲットになるこの国でクリスチャンとして生きる信念の強さ、反面、日々感じている生き難さ、を目の当たりにしてきた。来客もあったし、友人の話も良く聞いていたけれどほとんどがクリスチャンだったと思う。だからこそ、ことさらにこの宗教を異にする家族同士がテーブルを囲んで笑い声を上げているのがもうなんだかすっごく感動的だったのだ。帰りの車の中で「本当に素敵な家族ねー今後も連絡を取り合っていくわ」とホストマザー。胸がいっぱいだった。

もう一つは、この国で得たたくさんの素敵な出会いに改めて感謝が込み上げてきたから。人との出会いというのは本当にかけがえが無い。偶然に人生のある一時を共有する人たちをこんなに愛おしく思えるということはなんて幸せなことだろう。

昔ある人が「人生の価値は感動の量で決まる」と言っていて、うん、そうかもしれないなぁと思っていた。そして私にとって感動は人との出会いとその関係の深まりに比例すると思う。人間に対する愛情の量に比例すると思う。「この人好き!」って心から思う感覚。それはその人の人間性ももちろんあるだろうけど、根本的には人間という生き物に対する愛情だと私は思う。共有出来ないこと、異質な部分なんて山ほどあるけど、でもやっぱり「この人好き!」「ああ出会えて良かった」と相手を愛おしく思う瞬間、一瞬でもそいういう出来ごとがたくさんあること、それが自分にとっての最も大きな感動。人生の価値。生きて行く喜び。

そしてそんな感覚を自分の国から遠く離れたこのパキスタンで体いっぱいに感じていること、感謝。あー今から去る日を考えると泣ける。でも必ずお返しをしたい。必ずこの国に帰ってきたい。たくさんの大事な人が出来たから。
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# by nanacorico0706 | 2010-08-01 20:04 | パキスタン

シャラワカミーズを考える


東南アジアは色々な国を回ってきたけど、パキスタンでひと際強く「異国感」を感じる理由の一つが、この国の人の「格好」だと思う。大半の人がシャラワカミーズと呼ばれる伝統衣装を着ている。世界中どこでも普通になっていると思われるTシャツやジーンズといった西欧の格好をした人が圧倒的に少ない。特に女性でシャラワ以外の洋服を着ているとものすごーーーーく目立つ。

シャラワカミーズこんな感じ。日本人の私もアメリカ人のサラもやはりイマイチ似合ってないよね・・・
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開発学を勉強して一年、最も強調された学びの一つは「近代化理論」を疑うことだったと思う。世界中のあらゆる国が先進国同様に農業中心の前近代的社会から一つ一つ階段を上がるように高度消費社会へと離陸していく、という近代化理論。戦後の開発政策の基盤となったこの単純明快な理論は文化の多様性を無視した西洋中心主義的理論、という倫理的な批判に加え、持続可能性を考慮していない、という問題点などが指摘されてきた。もはや近代化理論は時代遅れ、とされつつも、やはり訪れる度に西洋化していくように見える東南アジアの国々を見てきて、それ以前に自国日本の歴史を振り返ってみて、どこかでこの理論のもつ説得力も感じずにはおれなかった。

が、パキスタン。この国、何か違う。少なくとも衣装という最も表面化し易い部分で西洋化、してない。多少西洋的ファッションのミックスが見られたりするものの、皆伝統衣装だし。なるほど、近代化理論への反論然り、文化的な面でも一様に先進国の辿ってきた西欧化の道を進むわけではないのね、と。日本では明治時代にあっという間に失われた美しき着物文化に郷愁を馳せる。一体世界中で起こっているこの西洋化の波にパキスタンが乗らなかったのは何故か?翻って乗りまくってきた日本、何故か?

なんて思っていたら事情はちょっと違うことが分かってきた。80年代以前は、ミニスカートで街を闊歩していた女性がいたと!!!!びっくり。カラチにディスコが有り、人々はレストランでビールを楽しみ、外国人がわんさか観光していたとか。その当時のパキスタンは確実に西欧化の軌道に乗っていたのだ。ところが、70年代後半に政府主導でイスラム化が行われ、公共の場でのアルコールは禁止、女性は自転車もバイクも運転しちゃダメ、シャラワカミーズの奨励、などなど、現在のパキスタンの様相へと変容していく。ムシャラフ大統領時代に少し緩和されたものの、現大統領になってから女性のテレビや広告への出演が規制されたり、また保守化の傾向にある。

グローバリゼーションと同時に世界どこにいってもアメリカナイゼ―ション、みたいなこのご時世に伝統衣装がまだ主流なんてステキ~ってロマンチックなものでは全然なかった。今まで会ったパキスタンの人でこういった政府主導のイスラム化の傾向にポジティブな人は皆無。敬虔なイスラム教徒も政府の保守化には悲観的。

アイデンティティとは何か、文化とは何か、ということを改めて考える。政治とは隔離されたもののように思えるこういった概念が、現実には非常に強く政府に統制されている。パキスタンのイスラム化も隣国インドとの分離以来の緊張関係が背景にあったという。ヒンドゥー色を強めるインドに対抗すべくイスラムの価値観を梃子にナショナリズムを強化していったのだと。西洋視点の近代化理論への反動もあり、民族固有の宗教・文化というのは80年代以降の開発論の中心的概念になっているけど、いったいそれらが本当に伝統社会に根付き、人々の内的価値観に基づいたものなのか、見極めるのは難しい。シャラワカミーズ素敵!なんて単純に思っていた第一印象から少しずつこの国の興味深い歴史と社会の変遷に思いをはせる今日この頃でした。
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# by nanacorico0706 | 2010-07-09 03:03 | パキスタン

28歳/午前9時過ぎ


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人間の一生を一日に例えるには、自分の歳を3で割ればいい、と聞いた。
今日で28歳。まだ、朝の9時を過ぎたところ。

誕生日っていつもはそんなに大事に感じなくて、けっこう淡々と過ぎてしまうのだが、なぜか28回目の誕生日は数週間前からずっとそわそわしていた。アラサ―だから?っていうのもあるかもしれないけど、やはり初めて異国の地で迎える誕生日、というのが大きかったのかもしれない。非日常の真っただ中だからこそ、物理的にも精神的にも一人になってこれまでの28年間とこれからの人生と、そして今日という一日の切り抜きと向き合おうとしていたのだと思う。

数週間かけて、今日までに何かをクリアにしたかったのだけど、結果的には霧の晴れないまま快晴パキスタンで誕生日を迎えた。理想と現実、期待と不安、共感と孤立。いろんなものがぐるぐるしていて、エネルギーは有り余ってるのに発散する方向を見いだせない。誕生日の決意、をずっと考え続けているのに、しっくりくるものを見つけられないまま今日。

そんな消化不良バースデーに改めて感じたのが人の温かさだった。日本からのメッセージ、ホストファミリーからのバースデーカード、インターン先でサプライズのケーキ。不覚にもトイレにこもって涙。28年前の今日、全身いっぱいで泣きながら生まれたんだから、今日という日に人の優しさに触れて泣いたっていい!

28歳、まだ朝の9時。
本当は人生の節目だし、色々と具体的な目標をたてようとずっと考えていたけど、どうだろう、もし人生がたったの1日だとしたら、どんな1日にしたいか?大事な人がいて、笑顔で一日過ごせたらそれが一番な気がする。

ということで28歳の目標は常に笑顔と感謝を忘れないこと!!人生の節目とか将来設計とか、そんなのは考えるときがきたら考えよう。今日はひとまずたくさんの人の愛情に感謝して、笑顔で一日を終える。生きていることに感謝。本当にステキな家族と友人に恵まれたことに感謝。

誕生日、ありがとう。
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# by nanacorico0706 | 2010-07-06 23:06 | パキスタン

不法を合法化するお仕事


私がパキスタンで関わってるお仕事はInformal Sectorをformalizeする、という試みの一環です。一言で言うと、スラムなどに不法に居住しているBOP層の人々に法的に有効な土地所有権付きの家を提供しようというもの。SaibanというNGOが80年代に始めた画期的な試みを全国的に広める為に、今非営利の事業から営利事業へと発展させようとしている。

Saibanが立ち上げたモデルはIncremental Housingと呼ばれている。出来あがった家を売るのではなく、何もないまっさらな土地を安価で提供し、そこに住人自らが汗をかいて少しずつ家を建てていく。本当に電気も水も下水施設もないまっさらな土地に一家で移住してきて、最初はテント生活しながら毎日少しずつ煉瓦を積み上げていくのだ。一番最初に住み始めた家族の勇気と根性ったら本当に想像を絶する。

この「自分で作る」という仕組のおかげでコストはめちゃくちゃ低い。住民は頭金8,000ルピー(約一万円)、後は毎月300ルピー(約400円)を7年間払い続ける。これが土地代とインフラ代という計算。建設にかかる費用は別途自己負担なので、デザインも大きさもお財布と相談しながら各自のペースで。同時に、住民からの毎月の回収額を元手にSaibanが少しずつ電気・水道などのインフラを整えて行く。ということで、全く外部資金に依存しないスキームになっている。土地は政府から無料で提供されている場合もあれば、私有地で土地代が高いケースでは、2割程度の土地を商業用地として留保しておき、コミュニティが拡大し土地の値段が上がったところで売却、その利益を低所得者向けの土地代と相殺している。

低所得者向け住宅の最大のチャレンジは、低所得者を装った投資家やマフィアが土地を買い込み高値で売り払ってしまうところにある。Saibanはこういった投機家を排除する為に土地購入後3か月以内にその場所に一家全員移り住むことを求めている。住んでいない場合は土地没収。さらに全てのコストを払い終える7年後までは土地の所有権は住民に移転されず、当然その期間は転売、転貸なども出来ない。

さらにSaibanは他のNGOなどと協力して学校、モスク、診療所、コミュニティセンターと社会インフラも提供している。10年前にはなーんにもない更地だったとは想像もつかないような一大コミュニティ。今では30,000人が住み、3分の一の住民がコミュニティ内で職に就いているそう。

実際に行ってみると、すごい、の一言。煉瓦作りで日本の下町のように壁を共有している家々。カラチでは街中を歩いているのも見かけなかった女性たちが木の下に車座になって井戸端会議。子供が走り回り、小さな商店から笑顔で手を振るおじちゃん達。自分が滞在している高級住宅地の一角より、よっぽど安心感を覚えた。人の表情がイキイキと明るかった。

Incremental Housingの神髄は究極のボトムアップアプローチと言えると思う。そもそも土地しかないのだ。そこから自力で家を建て、インフラが整うまで辛抱強く待ち、隣人と一緒になってゴミ処理のルールやなんかを決めて行く。Saibanの創設者Tasneem Siddiqui氏は‘Success can only be achieved when you involve the community in the entire process from inception to completion. They will eventually own the project.’ と語っている。Ownership、が持続的に発展するコミュニティのカギなのだろうとなんとなく意識し始めている。物理的な所有ではなく、「ここは自分たちの共同体だから、自分たちでどうにかしなきゃ」っていうOwnershipの「意識」。その為に、外部から何かを与える、持ち込む、教える、という従来の開発マインドセットをひっくり返し、極力、何もしない。これってすごい勇気だ。何もない土地に「はい住んで下さい。手助けはしますが、基本的に自分で家を建てて下さい」と言う。どう考えても常識的ではない。ぶっとんでる。だけど、ここにこそ実はOwnershipの芽が有るのではないか。

Saibanモデルは全国にゆっくりと広がっていて、今ラホールで4つ目のプロジェクトが進行中。そしてそこから営利事業へと発展させようという新たな試みに関わらせてもらっている。オリジナルのモデルから少しずつ変容を遂げる中で如何にこのOwnershipの意識を維持出来るのか。新たな方向性についても又更新します。

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# by nanacorico0706 | 2010-06-27 23:32 | パキスタン

貧困削減の担い手は一体だれか?


パキスタン到着から今日で2週間が経った。
振り返ると・・・・正直、モヤモヤしている。そしてウズウズしている。
まだちゃんとこの国の人たちと関われていないからだ。まだ現場に入って無い。パキスタン人にはたくさん会ったけど、アキュメンのスタッフ、関係者、TEDに来てた人達、ゲストハウスのスタッフ。おそらくこの国の人口数%に満たないめちゃくちゃ「恵まれている」人々。

一方で毎日タクシーが信号待ちになると窓をたたくおばあちゃん、子供、赤ちゃんを抱えたお母さん、障害をもった少年・・・。もうどうしようもなくいたたまれない気持ちになって目を合わせるのを避けてしまう。お金をあげずにやり過ごしたあとも、最終的にあげた日も消えないこの後味の悪さ。車に乗っている私。窓から見下ろす彼ら。私と彼らを隔てているこの鉄の壁をどうにかしたい。早く隣に座って話を聞きたい。この子供と遊びたい。でも車が私を連れて行く先はエアコンのきいたオフィス。そこに座って米国のトップスクールを卒業した流暢な英語を話すパキスタン人のエリートたちとIRRとかDue Dilligenceとかそんな話をするのだ。

誰かを責めているのではない。ソーシャルビジネスやBOPビジネスを批判しているのではない。大いなる矛盾とギャップをまだ消化出来ないでいるだけ。

早く現場に出たい。

昨日は他のインターン生と地元っ子たち10人ぐらいでボロボロのバンに乗ってドライブ。いつもは窓を閉め切っているタクシーだけど昨日はエアコン無しの中古車なので窓は全開。物乞いの女の子は一生懸命背伸びして小さな手を窓から差し出してくる。

アメリカ人のインターン同級生、No no no noと顔をしかめ迷いもなく拒否。汚いものでも触るように慎重に窓を閉めようとする。女の子の手に触れそうになりぱっと身を引いて手を放す。

目を疑ってしまった。BOPに興味があってインターンしにきたんじゃないの?!汚れたその小さな手こそが私たちに最も根源的な問いかけをしているのに。本当は握り返さなきゃいけないのに。彼女と私たちを隔てているこの鉄の壁をどうにかしなきゃいけないのに。

こういう人たちがこれからのソーシャルビジネスを担っていいのか?

貧困削減を担うのは一体だれか?

ソーシャルインベストメントの現場は全く違う世界に住む人々が共存している。アイビーリーグを卒業して投資銀行で経験を積んだMBAホルダーたち。そして彼らが投資・支援する不屈の精神で貧困と戦うコミュニティのリーダーたち。そして、貧困の中にありながらこのリーダーが起こす変化の担い手となる勇敢な人々。鉄の壁よりももっと大きな何かでしきられているようにも感じるこの異なる人間たちが重なり合い、繋がりあいながら成立しているのが、今私が見ているプロジェクトだ。

この一つの小さなプロジェクトが、世界を巻き込んでいるチャリティの進化の大きな仕組を凝縮している。ドライバーつきの車で豪邸から出勤するマネージャーが真剣にホームレスの人々を救う方法を考えるのだ。

非難しているのではなく、自分への問いかけだ。このギャップ、距離、をどこまで縮められるのか。それが出来ないならエアコンつきのオフィスでパソコンに向かってBOPを論じるのは一切やめた方がいい。物乞いの人の気持ちを理解する、なんて傲慢に過ぎないけど、少なくともその汚れた手を握ってあげられないのなら、本当の意味で貧しい人の為になるビジネスなど考えられるわけがない。

来週からようやく現場に出れる。早く鉄の壁を超えたい。このモヤモヤをどうにかしたい。
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# by nanacorico0706 | 2010-06-12 03:50 | パキスタン

ジャクリーンさんと会う!&TEDxKarachi


インターンのオリエンテーションは7日からスタートだけど前のめって1週間早くパキスタン入りした私。アテは無い。暇だし特に観光するところも無いので毎日オフィスへ。
が、この先走り、本当にナイスジャッジでした!

a0158818_2331161.jpgなんとアキュメンのCEOジャクリーンさんが一年ぶりのパキ出張中!カラチでディナー、ランチとご一緒させて頂きました!60人ぐらい各界のお偉いさんとアキュメンのスタッフが招かれた夕食会で偶然にもジャクリーンさんのほうから話かけてくれました。

わーインターンで来てるのね~と超ハイテンションでむぎゅーっと力強いハグ。なんともフレンドリーで若々しくて、回りをぱっと明るくするような人柄。ビジネスマン、政治家、弁護士からコミュニティの活動家までパキスタンでもたくさんの方と関係を気付いているのが良く分かるパーティーでした。

もうひとつ先走りパキ入りでラッキーだったのはパキスタンで初めて開催されたTEDイベント、「TEDxKarachi」に出席できたこと!招待制なのでカラチにいるとはいえ無理だろうなーと思っていたらアキュメンのスタッフが気を聞かせてすべり込ませてくれた!

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テーマはWhat Pakistan needs now。どのスピーカーも本当に胸に迫る、考えさせられる話で、たっぷり刺激を受けた3時間でした。

今パキスタンに必要なもの。リーダーシップ、イノベーション、インスピレーション、そして女性のエンパワメント。パキスタンを変えようとそれぞれのフィールドで地道に戦っている人たちの熱気。今世界で最も貧しく、また不安定な国が変化を遂げるのを渇望しているリーダーたちと聴衆の一体となった空気。ジャクリーンも最後のスピーカーとして登壇。終了後にはスタンディングオベーションでした。

あるスピーカーが最後にパキスタン国歌を歌い出す。全員起立して大合唱に。終了後に話した若い女性は「正直最初は国歌なんて・・・って感じだったけど、不思議とだんだん気持ちが高揚してきて、なんだか感動したわー」と。こういう熱気を大きなうねりにしていかなければいけないのだと思う。

この国を変えるのはタリバンを掃討するアメリカでも、多額の援助資金をつぎ込む世銀やIMFでもなく、この国に生まれこの国に生きる人たち。来週にはラホールに移動して、貧しい人に住宅を提供しようと戦っているリーダーのもと働く。五感をフル稼働して、心を思いっきり開いて、その人を観、語り、たくさん刺激を受けてきたい。今、この国に必要なものは何か?
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# by nanacorico0706 | 2010-06-05 23:44 | パキスタン


2年間の米国留学生活をゆるゆると綴ります・・・
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