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旅の途中



力が欲しい、と彼は言った


企業とNPOのパートナーシップ、というテーマでここ最近何冊か本をさらって、考えたのはパワーバランスについて。

多くの本がNPOは企業の下請けになっちゃいかん、おカネをもらいに行っちゃいかん、イコールパートナーになるのだ!と説いていて、ああそりゃそうだな、と思った。が、そんなに簡単じゃーない。力関係というのは非常に難しく、だからこそ興味深い。

慈善事業にまつわる力関係はドナー>助成先が普通だ。従来型の無償の寄付に基づく慈善事業ではどうしてもNPOはおカネをくれる人の方を向いて仕事をしてしまいがち。説明責任、と言った時最終受益者よりもドナーに対することを指す場合が多い。Fundraisingに多大なリソースを割いて本来の使命である受益者への価値の提供が手薄になってしまうことだってあるのが現実。ある人は助成事業を担当していて助成先を見る目と、自分でプロジェクト作ってる時にパートナーのNPOを見る目が全く違う、と言っていた。助成、という構造がその仕組に関わる当事者の視点を既定し、その枠組みが当事者同士の関係性を決定してしまう。

投資もやっぱり投資家>投資先。だと私は思う。Impact Investingに代表されるような新たなソーシャルチェンジの為のおカネの出し方を考える時、既存の「投資」のスキームを使っちゃダメなんじゃないかとずっと思っていた。どうしても投資家と投資される側の力関係がアンバランスになり過ぎる。どうしても株主が王様になってしまう。そんな気がしている。ソーシャルベンチャーファンドでもどうやって投資先の事業をモニタリングするか?といった課題設定が普通に出てきちゃうくらい投資家が偉い、世界。投資、という枠組みが「する人」と「される人」の関係性を生みだし、常識がその関係性に求めるような役割を知らず知らずそれぞれの当事者が演じてしまう。

Cooperativeのようなおカネの出し手と受け手が一致しているような仕組みに強く惹かれていたのはこういうパワーバランスが限りなくフラットになるスキームではないかと思っていたから。だけど、そうも単純ではないのだろう。みんなで話し合って決めましょう、的な直接民主主義の仕組って実は最もむき出しのパワーが顕在するもの。声の大きな人の意見が通ってしまう世界に陥るリスクも高い。

と、こういったことをブレストしながらパワーバランス云々、と鼻息荒く語る私に上司が一声。「力の不均衡から自由な関係性なんてこの世にあるんだろうか?」

はい、無いと思います。助成先をパートナーと見て応援するか、助成してやってんだ、と上から目線になるかは突き詰めれば個々人の人間性の問題だ、とその上司は言った。20年助成事業に携わっている実感ヒシヒシ、大変説得力が有りました。でもやはりその個人も日々世界と接して絶えず変化を繰り返しているのであって、外界から発せられるシグナルが変われば人間の行動も変わると思うのです。

力の不均衡から自由な関係性なんてない、という上司の言っていたことは正しいと思う。そして、もうひとつ正しいのはこのパワーバランスは常に動態的だということ。だとすると、フラットな関係性を保つような資金循環の構造を考えるのではなく、関係性を固定化しがちな「構造」や「スキーム」や「制度」そのものを「作らない」ことがキモなのかもしれない。

制度化しちゃ、だめだと思う、とMITメディアラボ所長の伊藤さんがさらっと言っていてすごく刺さった。ソーシャルベンチャーについて質問に行った時のこと。

メディアラボでの研究資金はご飯食べながら雑談してるAさんとBさんが新しいアイディアを思いついて盛り上がって、たまたまお金持ちのAさんが、たまたまアイディアを実現する能力のあるBさんにポイっと出すぐらいの感覚がいい、とも語っていた。ご飯食べながら、と仰っていたのがポイントだと私は思うのだ。その空間はどこかしがない居酒屋とかがいいのだ。申請書とか役員会議室とか現場視察とか、そういう構造化・システム化されたものと対極にあるもの。まだ定義されていない関係性。そこに無限の可能性があるんだと思う。

だから、企業とNPOのパートナーシップを考えるのなら、どういう仕組がイコールパートナーシップを生むか?を問うてはいけないのかもしれない。伊藤さんが言ってた居酒屋状態を無数に創り出していくことが私たちの仕事だ。
# by nanacorico0706 | 2011-09-26 00:34 | つれづれ

『辺境から世界を変える』


『辺境から世界を変える』_a0158818_12462517.jpgTwitterを通じて知り合った加藤徹生さんの本。 正直、企業家一人一人に焦点を当てたルポ、と聞いて最初はそんなに興味がわかなかった。ソーシャルビジネスに関する勉強はある程度してきたつもりなので、「今世界ではこんな面白い人たちがこんな斬新なことやってますよー」的に表面をなぞるような内容だったら少し物足りないかも、と。でも読み始めたら引き込まれて一気に読んだ。

それはきっと加藤さんの「目線」が好きだったからだと思う。つまり、その目線が徹底して本当の草の根のリーダーたちに置かれていて、彼らの心のひだを丁寧に拾っていたからだ。

ソーシャルアントレ、というといろんな文脈で話す人がいるけど実は先進国のエリートがぴかぴかのキャリアを捨てて立ち上げました、かっこいい!!終わり。みたいなストーリーってけっこう多い。貧困層を救うためのソーシャルビジネスの現地オフィスが上流階級のスタッフで固められていて「リキシャ?危ないから乗ったことありません。」と言われてげんなりしたこともあった。資金提供する大富豪やMBA的経営スキルをまとったビジネスエリートが主役のソーシャルビジネスではきっと本当の変化って起こらないような気がしていたのだ。

加藤さんの視点はそこにはない。ことが気持ち良かった。題名が表すように舞台は「辺境」だ。当事者自身が足元から変化を起こしていく。NYやボストンのカンファレンス会場には無かった泥臭さがぷんぷんする。こういうリーダーが他にも世界にゴマンといるとしたらすごい楽しいな、と元気が出た。

一番はっとしたのは事業のノウハウや手法を積極的に公開し同じモデルをどんどん真似してもらおう、とするセルコ社。この姿勢がソーシャルビジネスの本質なんだと思う。

これって簡単なようでスゴイこと。真似した会社に市場を食われて先行者だった会社が立ちゆかなくなることだってもちろん有りうるのだ。ある意味では、それでも良い、という覚悟がなければ出来ない。会社としての未来永劫存続することがミッションではなく、社会にとってベストなソリューションが提供されていること、がミッション、という大前提があるからこそ自らの会社が無くなるリスクも冒せるというもの。市場での競争を左右する指標が利益以外の価値に収斂されていく。まさにスケールアップ(組織としての拡大)ではなくてスケールアウト(モデルの拡散による社会的インパクトの拡大)が問われているということ。

加藤さんはこの拡大戦略の2分類を、両者とも必要で、特に発展途上国のように市場が未熟なところではスケールアウト型で一気に業界を立ち上げるのが良い、と言っている。つまり、業界が成熟すればスケールアップ型の拡大戦略が有効になっていくのだ、という含みがあるのかと。

でも、すごく大胆に妄想すれば、私はビジネスの世界がスケールアウト型がマジョリティ、になれば面白いのにな。と思う。いや、なっていくんじゃないか、とさえ思ったりする。規模の経済を追求するスケールアップ志向の市場が行きつく先はシュンペーターが言っていたみたいなイノベーション無き独占市場なのだとしたら、ローカル事情にカスタマイズされた同種モデルの中小企業がいっぱい、みたいな世界、の方が面白くないか?

市場レベルのリターンを求めるインパクトインベストメントの最近の動向を見ていると、ソーシャルビジネスはこうした投資家を持つことによってスケールアップ型への転換を余儀なくされているのではないかと思ったりする。例えば賛否両論激しいマイクロファイナンスの上場、もっと多くの貧しい人にサービスを届ける為には市場から資金を調達するしかないのだ!という議論が多いけど、株主というステークホルダーを持ちながらスケールアウト型の戦略を取り続けることはやはり難しいのではないだろうか。

加藤さんが提案しているプレーヤー同士の「対話のプラットフォーム」の重要性は多いに納得。でも、ブラックリストの共有だけが本当に意味のある対話とは思えない。ノウハウ、情報、イノベーションが共有され、「スケールアウト」していくようなシステムって何か?加藤さんの問いかけは私も今後の宿題。

「辺境から世界を変える」、の意味はいつか辺境が中心と同化する、ということではない。辺境から来た新しい価値が中心を揺さぶっていくことだ。鳥肌モノのソーシャルビジネスは既存の価値観が定義する「市場」で新しいモデルを創り出していくのではなく、市場を定義する価値観自体を覆すものだと思う。

と、相変わらず考えはまとまらないけれど、色々とインスピレーションを得た一冊なのでした。加藤さん、今週会うから疑問をぶつけてみよう。
# by nanacorico0706 | 2011-08-15 12:50 | 読書

就職しました


ご報告。

8月1日より日本財団で働いています。
まだもやっっとしてますが企業とNPOの連携、CSR、寄付事業なんかをやってる部署です。
ハードルの高さや色々現実見え隠れしつつそれも全部ひっくるめてわくわくしています。上ってみたい山が見えてきたような。

難しいこととか共感出来ないこととかあっても、それが自分が精神的にコミットできてる課題だとアツクなれるのがいい。「なんか違うと思うけどまあいいや最終的には私の知ったこっちゃないし」、というメンタリティで仕事をするのはやはり悲しい。社会のためにならん!と堂々と青臭い怒りをぶつけられる様な場所に身をおけることはやはり大事なのだ。。

尊敬する叔父から頂いた就職祝いには「心頭滅却、何事にも変えがたく職を修める」とのメッセージが添えられていた。まずは愛情こめて仕事をしよう。組織に根を張らず社会に根を張れるように、好奇心をもってアンテナを立て続ける。

行ってきます。
# by nanacorico0706 | 2011-08-11 22:09 | おしごと

石巻ボランティア

3月11日、映画のワンシーンのような津波が街を飲みこむ映像を前にただ呆然とすることしか出来なかった。私はアメリカにいて、東京にいた人が体験していたような非常事態も共有出来なかったことに漠とした罪悪感を抱きながら、毎日日本からの情報に涙することしか出来なかった。あまりにも悲しい現実に触れた涙と、そこに垣間見えた人間の強さや偉大さ、そういったものに対する涙。

あの日から数週間、被災した人の悲しみに心を重ねて、日本中が「何か私に出来ることはないか?」と問うたのではないだろうか。すぐにでも現地に飛び込んで何かしたい、というたくさんの人の想いに対し、阪神大震災の教訓もあって、「素人の人は機が来るまで待ちましょうね、今は医療関係者や自衛隊の方に頑張ってもらう時期です」、といった賢明なメッセージが寄せられていた。私も、「今は何も出来ないけど、機が来たら、必ずなんらかの形でお手伝いをしよう」、とその時決めたのだ。

4カ月経って帰国。東京の様子はすっかり日常を取り戻している。原発の問題や復興の様子が報道されることはあってもあの時のように日本中が被災地に想いを届けているような切迫感は無い。当たり前だけど、だんだんと関心は薄れていくもの。私だってそう。震災直後に大学で募金活動を始めた時の熱量はもう無い。

それでも、現地にボランティアに行こう、と決めたのは、自分との約束を守ろう、という一心だったと思う。恥ずかしいことかもしれないけど、行くぞ!という強い想いに従ったというよりは被災地のことを忘れかけていく自分に鞭を振りたかった。あんなに現地に行きたいと思っていた気持ちを失くしかけている自分がイヤだった。行きたい、というよりは行くって決めたのだから行くのだ、という決意だったと思う。弱い自分だ。

3日間、宮城県の石巻で民家の床下のへどろをひたすら掻き出す、という作業。たったの3日だったけれど、行って良かったと心から思う。「本当に助かります」と言って下さった、それだけだ。無口なおじいちゃんが作業を終えて最後にボランティア一人一人に握手を求めてお礼を言ってくれた、その握った手の感触、それだけ。それだけで、本当に行って良かったと思う。5人、10人が一日かがりで一軒、といった小さな歩みだけど、私のような素人の出番が今、来ているのだと感じる。

たったの3日間の滞在で、数人の方と少しお話をしただけではどのように受け止められているかを声高に語ることが憚られる。ただ、たくさんの方が現地に行くことに意義があるとすれば、行った人たちが現地のことを「忘れない」ということじゃないだろうか。「忘れないこと」というのは震災直後ブログやTwitterで繰り返し語られていたことだと思う。私たち被災していない者に出来る最大の支援は忘れないことです、というメッセージ。あの日のことを自分のこととして考え続けることが寄付とかボランティアとか小さな行動に繋がるし、関心が集まり続けていることが国としての復興活動にも影響する。一人一人が思い続け、気持ちを送り続けるという静かな波が現地の復興を支えていく大きなうねりに重なっていくのだと思う。

短い間でも現地にボランティアに行くということ、物理的にそこに身を置いたということ、テレビの映像ではなく、生身の人間と対峙したということ、彼らの笑顔、握手した感触、そういう感覚は強烈だ。物理的にそこに居た、という事実は当事者意識を生む。「知る」ことではなく「感じる」ことのインパクトは大きい。それが忘れないこと、に繋がるのではないかと思う。

石巻ボランティア_a0158818_2349441.jpg


こういう特別な経験をすると人間は「何を学んだか」ということを整理しようとしたりするもの。修学旅行の感想文とか昔はすごくうまかった気がするのだけど、最近めっきりダメだ。こうも思う、こうかもしれない、と思いを巡らす帰りのバスで、どれも誰かが言っていたことの受け売りにしか感じられなかった。結局、誰かに伝えたくなるようなもっともらしい学びには至らず。でも仕方がない。これが私のスピードだし、このモヤモヤが正直なところなのだ。分かった気になるよりは考え続けたほうがいい。抒情はいつも遅れてくる客観視の中にある。

結局最後に至った想いが「忘れないこと」だった。正確に言えば、人間は忘れる生き物だから、私はすぐに忘れる弱い人間だから、忘れない、と心に決めることだ。「妻と2歳の孫と三人で仮設住宅におります」と言ったおじいちゃんに2歳の赤ちゃんの両親はどうしたのかを聞けなかった、あの時のあのおじいちゃんの表情を、握った手の強さや差し入れしてくれたアイスの味やそういう記憶をちゃんと刻み込んで、関わった者としての責任を感じること。勝手に責任を取ろうと努力すること。どんなに小さな行動でもそれを自分の責任として軽やかに背負って歩けるように。無力な私に出来ること。今日も想っています。
# by nanacorico0706 | 2011-07-27 23:51 | つれづれ

29


誕生日から既に3週間が経過しましたが、20代最後の歳を迎えて、抱負。

愛すること。照。

いや、恋愛とかそういうことではなく(そっちも頑張らなきゃいけないけど)、お世話になっている人、友人、家族、自分自身、隣のおばちゃん、コンビニの店員さん、まだ会ったことのないたくさんの人を愛するということ。それから、仕事、家事、駅までの道、満員電車、寝苦しい熱帯夜も愛するということ。

ある人がある本で「理性の愛」というものを語っていた。感情ではついていかなくても人間としてやるべきことなら理性によって愛し続けることが必要、と。

愛情って「情」がつくぐらいだしもっとほわんとしてあったかい、自然発生的なものというイメージがあったのだけど、愛って実は決意や覚悟に近いのじゃないかと最近思っている。自然に発する愛情が先にあったとせよ、それを持続する為には愛し続ける、という決意と継続する忍耐力や強さが必要なのだと。

だから、好きだなーとか嫌いだなーとか感じることに身を任せるのではなく、愛することに努める人間でありたい。理解できない、と閉じずに、理解してみよう、と努める。今日会う人に何か私が出来ることはなかったか、と意識してその人と向き合いたい。今日接した全ての人に自分が笑顔で、真摯に、誠実に接していたかを問いたい。

あっちに行くかこっちに行くか、進路の相談に行った時ある教授が「どちらの道を選んでも最終的にはその決断を正しいものにするまで努力し続ければいいのよ。」と言ってくれた。どんな仕事どんな雑事も本当に愛情をもって取組まない限り本質に辿りつけないと思う。その愛情は「好き!」みたいなふわっとした感情ではなく、愛情をもってやるんだという決意であり、覚悟であり、信念であると思う。

20代、自分の好きなことをやって色んなところをフラフラしてきた気がする。東南アジアの田舎を旅したり、商社で飲んだくれたり、金融資本主義の権化みたいな世界で仕事したり、留学したり、NGOで働いてみたり。ある意味、「好き!」「嫌い!」に素直に反応して行動した20代だったのだと思う。親戚には「七ちゃんは糸の切れた凧状態だからね~」と言われてグサリときたこともあった。

30代は糸をつなげたいと思う。糸の切れた凧として経験してきたたくさんのコトをどうにか地上に結び付けたい。その為には、愛することが必要なのではないかと思うのだ。自分の感情に素直になるだけではなく、他人の感情にもっと耳を澄ませたい。何がしたいかだけでなく、私にどんな貢献が出来るかを考えたい。あと1年、どんな場所にどんな具合で凧が着地するか・・・自分でも楽しみな誕生日なのでした。

愛の無い行動をとっていたらどうか注意して下さいね。よし、頑張る。
# by nanacorico0706 | 2011-07-25 14:23 | つれづれ


2年間の米国留学生活をゆるゆると綴ります・・・

by nanacorico0706