今年からボストンで毎月開かれているボーゲル会という勉強会に出席している。
Japan as No1というアメリカを追い越す勢いだった日本を書いたベストセラーで知られるハーバードの社会学の教授、ボーゲル先生を囲んでボストン留学中の学生が将来の日本について語る、という伝統ある勉強会。学生、といっても大手の企業から派遣されているビジネスマンや省庁から派遣されている若手の国家公務員が多く、同年代から少し上のある程度社会経験を積まれた方々。昨日参加した会で個人的に「マーケット」の機能について考えさせられたので振り返りを書こうと思う。
テーマはエネルギー安全保障。資源を持たない国日本が如何にエネルギーを安定的に調達してくるか。大枠ではオイルショック以来石油依存度を減らしていく、というのが政府の方針で、石炭や原子力、リニューアブルエナジーなど色々試みられてきた数十年。とはいえ石油は今でも4割程度のエネルギー源で今後も輸入を続けることは避けられない。一方で、中国やインドの成長によって原油の需要は高まる一方、原油価格はあと25年の間に倍になると推定されている。さあ大変!どうする日本!というのがざっくりした文脈。
提案をしてみた。オイルって人類共通の生命線みたいなもので、同じようなエネルギー安全保障の問題に世界各国が直面しているんだったら思い切ってマーケットで価格管理するのはやめて国際的に安定供給をする仕組を作ったらいいんじゃないでしょうか?
ま、多少ぶっとんだ考え方だし「そうですね!」なんて答えを期待してたわけではない。そもそも発言し始めた時点で会場に広がる苦笑。
が、ちょっとびっくりしたのはゲスト参加されていた日本を代表する経済学者の先生に言われたこと。「そういうマーケットの機能を疑問視するような発言は非常に危険ですね。戦時の統制経済みたいになってしまう。きちんと経済学を勉強していないとこういうことになる」といったような趣旨。別にマーケットの機能を全面否定していたわけではなく、原油のような公共性の高い財は完全に市場を自由化するのは宜しくないのでは、と言いたかったのだが、「危険」という強い表現で諭されたことに少し面食らった。フリーマーケットへの警鐘は特に金融危機以来アメリカの経済学者からも聞かれるし、マーケットは万能ではない、という考え方は主流とは言わないまでも特に驚かれることもないと思っていたが違うらしい。
重ねて他の方からも諭される。「必要としている人のところに最適にモノを配分するのがマーケットの機能ですからね。それを無視しちゃいけませんね」と。重要と供給を通じた価格メカニズムによって市場が自然に財の適切な配分をしてくれる、というのが経済学の基本。だけど、「必要としている人のところにモノを配分」するというはちょっと語弊がある。マーケットが本当に「必要としている人のところにモノを適切に届けてくれる」のなら、最もエネルギーを必要としている貧しい国々にどうして届いてないのか。答えは簡単で、彼らは買うお金がないからだ。マーケットは必要としている人にモノを配分するのではない。必要としていて且つ「買う力が有る」ひとのところに配分するだけだ。「ニーズ」と「需要」は違う。どれだけ途上国にneeds とwantsがあろうとも、オイルの世界市場に参加出来るだけの購買力が無い国が多いのだ。彼らの「ニーズ」はずっと「需要」にカウントしてもらえない。
先ほどの経済学の先生は悪気なくこの事実を認めた。「確かにマーケットはお金の入ったポケットの方に動きますからね、お金持ちが得をして貧しい人が苦しむ、ということはある。だけどマーケットを否定しちゃいかん。それは危険な考えです」と。
ああ、こんなにも堂々と貧困が是認されるのか。ナイーブかもしれません。でもちょっとショックだったなー。メインストリームの経済学者だったら、こういった考えはきっと特別じゃないんだろうな。マーケットに参加出来ない貧しい人は国が福祉で面倒見るんです、という正当化もあるだろう。じゃ、高騰するオイルマーケットに参加できない最貧困国はどうすればいいのだろう。世銀が?国連が?そういった機関が戦後60年介入し続けて何も変わっていないのが今の途上国の現状だ。
修論の担当教授がこの大学はリベラルの天国みたいなところだ、と言っていた意味が分かる気がする。大学を一歩出れば全く違う世界観を持っている人が溢れているのだ。当たり前ですね。
でも無力感を感じてはいけない。自分の考え方を意固地になって守る必要はないけれど、スタンスを持つということは大事。そして、倫理的なコミットメントは無くしちゃいけない。経済はお金持ちをお金持ちにするだけのシステムではいけないのだ。もっと勉強しよう。もっと行動もしよう。おかしい、と思うものとまっすぐに向き合っていく、ちゃんと戦っていく。